吊橋事故とは? わかりやすく解説

吊橋事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 05:29 UTC 版)

大杉谷」の記事における「吊橋事故」の解説

1979年9月15日登山サークル一行(ほとんどが初心者総員52人)が、老朽化した吊橋を「通行一人ずつ」との警告板を無視して8人で一度渡ろうとしたところ、ケーブル2本のうち1本が切断し1人墜落死亡・1人重傷負った事故事故当時先行登山2人渡橋中で、橋上にいたのは合計10人)。当該サークルは、1泊2日行程組んでいたため、当該吊橋待たされる日没までに山の家到着しなくなることを恐れ前に渡っている登山客が制止するにもかかわらず通行した。 なお、本事故に関するサークルリーダーの刑事責任不問とされた。 遺族三重県と国に対し、6900万円損害賠償求め国家賠償訴訟神戸地裁起こした神戸地裁1983年12月三重県には吊橋管理瑕疵があり、国には吊橋設置管理費負担者責任がある、一方死亡者にも警告板を無視した過失があるとして3割を減額した賠償命じた判決下した本判決原告被告とも控訴した。特に被告側は、裁判官被告側要求する現地検証拒否し登山道を「ハイキングコースであり、スカートヒールでの登山客もいる。」と認定するなど大きな事実誤認をしたと主張した控訴審判決大阪高裁1985年4月)では、被告側主張一部入れ死亡者過失割合を4割に増やした被告の上告を受けた最高裁では、国を費用負担者と認定せず、三重県には上告棄却敗訴)、国には原審破棄勝訴)の判決下した1988年12月)。 本件契機として、環境庁登山道安全に神経尖らせ多く登山道通行禁止となり、自然保護団体からは自然破壊評されたほどの登山道整備行った。本登山道も、岩盤発破をかけるまでの自然に負荷を掛ける方法登山道整備し直し1983年再開された。

※この「吊橋事故」の解説は、「大杉谷」の解説の一部です。
「吊橋事故」を含む「大杉谷」の記事については、「大杉谷」の概要を参照ください。

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