合成の試み
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1797年にダイヤモンドは炭素のみで構成されていることが発見されると、科学者らは安価な炭素材料を用いての合成を試みた。1879年にジェームス・バランタイン・ハネイ(英語版)が初めて合成に成功し、1893年にアンリ・モアッサンも続いて合成している。彼らの方法は、炭素を含む鉄製のるつぼに木炭を3,500℃まで加熱し合成させる方法であった。ハネイは炎熱管を用いたが、モアッサンは新しく改良したアーク炉を使用した。溶融した鉄は水に浸すと急激に冷やされ、恐らくその鉄が凝固した際に発生した体積の収縮が、グラファイト(黒鉛)の変化に十分な高圧力を発生させたのではないかと考えられた。モアッサンは1890年代に研究論文を発表しているが、当時の実験を再現しても温度や圧力が足らず、モアッサンが行った実験と同等の結果は得られないとされており、同じ作業を延々と繰り返され根が尽きた助手が実験の切り上げを決断するように天然のものの粒を混ぜたのではないか、という説が存在する。 多くの科学者がモアッサンの実験を再現しようと試みた。ウィリアム・クルックス卿が1909年に成功し、またオットー・ルフが1917年に合成したものが直径7mmまでに成長したと報告したが、後にそれを撤回している。マクファーソン大学(英語版)のウィラード・ハーシー博士はモアッサンとルフの実験を再現し合成させた。その試料はアメリカ・カンザス州のマクファーソン博物館(英語版)に展示している。しかし他の実験者は、3人の実験方法を試しても合成することが出来なかった。 蒸気タービンを発明したことで知られる技術者のチャールズ・アルジャーノン・パーソンズ卿が、最も信頼できる合成方法を確立させた。彼は40年の歳月と財産の大部分を費やし、ハネイとモアッサンの実験を行ったが、結果的には彼独自の合成方法を編み出した。彼は労を惜しまず研究を続け、几帳面に実験結果を記録していた。現在彼が作成した全ての試料は、さらなる分析を行うために保存されている。また彼は高温高圧合成法を用いて小さなダイヤモンドの合成に成功し、それに関する多数の論文を書き上げた。しかし、モアッサンやパーソンが行った全ての実験では合成できないと明言した論文が、1928年にC.H.デッシュ博士により発表された。デッシュは、当時合成されたとされるダイヤモンドの多くは合成スピネルと類似した物質であろう、と推測した。
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合成の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 14:25 UTC 版)
ウンビセプチウムまでの第8周期元素は、ウンビトリウムを除いて合成が試みられているが、成功していない。2021年現在、最初の第8周期元素であるウンウンエンニウムの合成が試みられている。
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