合併に向かって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 17:13 UTC 版)
「シカゴ・グレート・ウェスタン鉄道」の記事における「合併に向かって」の解説
デラムス3世に次いで、エドワード・T・レイディが社長となった。革新の継続は企業に利益をもたらした。EMDのGP30やSD40といったはCGW史上最大の出力を誇る第二世代のディーゼル機関車は、機関車単体というよりも一つのシステムの一部であった。エルウィン工場は旧式のFシリーズの修理と保守に追われていた。他の鉄道がそうした車両を新型機関車で置き換えてから後も長い間、そうした状態であった。また、エルウィン工場は、アルコ、ボールドウィン、EMDといったメーカーのスイッチャーの保守にも忙殺された。 旅客列車は、セントポールとオマハとを結ぶものが2本しかない状態にまで減らされていたが、これも1962年に廃止された。支線は廃止され、従業員の賃金はカットされた。こうして、CGWは合併の手を差し伸ばしてもらうにかろうじて値する経営状態となっていた。 1963年、スー・ライン鉄道(SOO)との合併が破談になった。そのことが、鉄道会社同士の大規模な合併が進む時流の中でCGWは生き残れないのではないかというCGWの取締役会の不安に駆った。レイディはシカゴの州際通商委員会(ICC)の前で「単純な事実として、CGWが結んでいる主要都市間に、競合する鉄道が多すぎる。そのような状況では、CGWはそう長く独立を保っていられないだろう」と主張した。 その後、CGWはシカゴ・アンド・ノース・ウェスタン鉄道(C&NW)に合併される目処がついた。まず最初に打診したのは1964年。以後4年間、他の鉄道と対立しつつも1968年7月1日、CGWはC&NWと正式に合併した。 C&NWはエルウィン工場の設備を保守し、1993年まで使い続けた。合併した1968年より20年が経過する間に、多くの線路通行権は廃止された。
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