合併に至るまでの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 14:12 UTC 版)
上述の合併合意後に、小川利彦前村長が「現時点で合併の必要を感じていない」などと発言し、実現性が不透明な状態となった。 その結果、小川は当初は合併推進を掲げて当選していたことなどから、公約違反などとして村議会と対立。村議会が2009年10月に村長不信任を決議すると、小川はこれに対抗して議会を解散。同年11月23日の出直し村議選では、定数8名のうち反村長派7名が当選した。その後、村議らは地方自治法に基づき議会の招集を求めたが、小川がこれを拒否。現職村長が法律に反する異常事態に行政は混乱した。この状況を受けて住民が小川の解職請求を行い、12月27日の住民投票(投票率60.98%)では9割弱の賛成多数となり、小川の失職が決定した。 小川の失職を受け、本埜村(村長職務代理者)と印西市・印旛村は県に合併申請を行った。 一方、法律に基づく小川の失職により、2010年2月2日に出直し村長選挙が告示、2月7日に投開票が行われることが決定した。3月23日に上記の合併が実施されるため、新村長の任期は43日間である。小川の失職が実現したことで、この村に行政に関する目立った争点は存在せず、小川を失職させた村民は、「何を基準に投票すればいいのか」「税金の無駄」と発言。村議は「選挙をやる意味があるのか」「村長の職務代理者を置く現状のまま合併すべきだ」と不法対応を主張した。 出直し選挙には失職した小川は出馬せず、元村長の五十嵐勇が当選。投票率は55.52%と村長選では異例の低さであった。 以上のことから、 出直し村議選で約360万円 リコールの住民投票で約400万円 出直し村長選で約300万円 と、3ヶ月足らずのうちに1,000万円を超える税金が本埜村選挙のためだけに費やされた。 新村長の五十嵐は「本埜村民の名誉を回復させる」と標榜。43日間の村政のために7つの公約を掲げ、これにより予定通り合併が行われた。
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