合併に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 17:43 UTC 版)
当時の北見市は常呂川流域1市5町の枠組みで合併する形を求めたが、留辺蘂町・訓子府町・置戸町は北見市に吸収されることを恐れ離脱した。 その後、当時の町長だけが訓子府町と置戸町を交えて協議を進めていた。留辺蘂町・訓子府町・置戸町の中で留辺蘂の人口は一番多く、ある程度留辺蘂が主導権を握れ、町民の多くも3町での枠組み賛成の声はあった。ところが、町議は「北見市との合併を求める」が多く、離脱せざるを得なくなった。 北見市の協議入りを果たし、住民投票は賛成が反対を上回り合併に至った。
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