合併による西進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 23:30 UTC 版)
「ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道」の記事における「合併による西進」の解説
1871年、ホイーリングと対岸のベレアを結ぶ橋がオハイオ川に完成し、B&Oとセントラル・オハイオ鉄道(CO)が接続された。COは1866年からB&Oによりリースされていた。この接続により、コロンバスと東海岸が直結され、鉄道が西および北へと延伸されるきっかけとなった。 B&Oに合併された鉄道は以下のとおりである(短区間の支線を除く) 1867年 - ウインチェスター・アンド・ポトマック鉄道とウインチェスター・アンド・スターズバーグ鉄道。両社はハーパーズ・フェリー(ウェストバージニア州)でB&Oと結ばれていた。現在のバージニア州における鉄道の重要な路線である。 1869年 - サンダスキー・マンスフィールド・アンド・ニューアーク鉄道をリース 1871年 - ピッツバーグ・アンド・コーネルズビル鉄道。B&Oはペンシルベニア州への延伸は許可されていなかったが、これによりピッツバーグへの延伸に成功。 1879年 - ソマーセット・アンド・カンブリア鉄道 1880年 - バッファロー鉄道 1890年 - ウェスト・バージニア・アンド・ピッツバーグ鉄道 1890年 - コロンバス・アンド・シンシナティ・ミッドランド鉄道をリース 1900年 - モノンガヘラ・リバー鉄道 1882年 - マリエッタ・アンド・シンシナティ鉄道。シンシナティ・ワシントン・アンド・ボルチモア鉄道となり、1889年にはボルチモア・アンド・サウスウェスタン鉄道(B&OSW)となった。B&OSWはオハイオ・アンド・ミシシッピ鉄道に吸収され、さらにB&Oに吸収されたことでB&Oとミズーリ州セントルイスとが結ばれた。B&OSWは会社としては1900年まで存続。 1901年 - オハイオ・リバー鉄道 1902年 - ピッツバーグ・ジャンクション鉄道 1902年 - ピッツバーグ・アンド・ウェスタン鉄道。元来、狭軌の路線であったが改軌された、B&Oのメインラインとして、ピッツバーグからさらに西へと向かう路線となった。ペンシルベニア州マースを通る。 1909年 - クリーブランド・ターミナル・アンド・バレー鉄道。これによりB&Oはクリーブランドへ進出。 1909年 - クリーブランド・ロレイン・アンド・ウイーリング鉄道 1910年 - シカゴ・ターミナル・トランスファー・カンパニーをボルチモア・アンド・オハイオ・シカゴ・ターミナル鉄道に改組。別会社として運営。 1912年 - ピッツバーグ近郊のサリスベリー鉄道を運営 1912年 - シンシナティ・ハミルトン・アンド・デイトン鉄道 1922年 - モーガン・アンド・キングウッド鉄道 1920年 - コール・アンド・コーク鉄道 1927年 - シンシナティ・インディアナポリス・アンド・ウェスタン鉄道。元来、シンシナティ・ハミルトン・アンド・デイトン鉄道の一部であった。これによりB&Oはイリノイ州スプリングフィールドへ進出。 1932年 - バッファロー・ロチェスター・アンド・ピッツバーグ鉄道。これによりB&Oはニューヨーク州へ進出。 1932年 - バッファロー・アンド・サスケハナ鉄道。一部の路線は1955年にウエルズビル・アディソン・アンド・ゲールトン鉄道となる。 1931年、シカゴ・アンド・アルトン鉄道を買収し、アルトン鉄道と解消。別会社として運営したが、1942年には裁判所による財産管理下におかれたのち、1947年にガルフ・モバイル・アンド・オハイオ鉄道に引き継がれた。 1877年7月20日、B&Oの従業員による暴動がボルチモアで起き、9人がメリーランド州の軍により殺された(1877年の鉄道大ストライキ)。翌日、ピッツバーグの従業員はストライキを行い、再び郡に包囲された。これがきっかけで、暴動はピッツバーグ全域に広がった。
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