史跡・伝承についてとは? わかりやすく解説

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史跡・伝承について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/24 04:45 UTC 版)

斎藤実盛」の記事における「史跡・伝承について」の解説

室町時代前期応永21年1414年3月加賀国江沼郡の潮津(うしおづ)道場現在の石川県加賀市潮津町所在)で七日七夜別時念仏催した4日目のこと、滞在布教中の時宗遊行14世太空のもとに、白髪老人現れ十念受けて諸人群集のなかに姿を消したという。 これが源平合戦時に当地討たれ斉藤別当実盛亡霊との風聞がたったため、太空は結縁して卒塔婆立てその霊魂をなぐさめたという。この話は、当時京都にまで伝わっており、「事実ならば希代の事也」と、醍醐寺座主満済は、その日記『満済准后まんさいじゅごう日記』に書き留めている。そしてこの話は、おそらく時宗関係者通じて世阿弥のもとにもたらされ謡曲実盛』として作品化されている。以来遊行上人による実盛供養慣例化し、実盛の兜を所蔵する石川県小松市多太神社では、上人代替わりごとに、回向が行われて現代至っている。 松尾芭蕉も、『奥の細道』の途上小松訪れて実盛を偲び、今も多太神社現存する実盛の甲を見て「むざんやな 甲の下の きりぎりす」と句を詠んでいる。 寛延2年1749年初演人形浄瑠璃(後に歌舞伎化)『源平布引滝』は、三段目切で青年時代実盛幼年の手塚光盛と対面し将来対決予言する場面が特に有名で、「実盛物語」として知られている。 実盛討たれる際、乗っていた馬が稲の切り株つまずいたところを討ち取られたために、実盛が稲を食い荒らす害虫稲虫になったとの言い伝えがある。そのため、稲虫(特にウンカ)は実盛虫とも呼ばれる。霊を鎮める神事は虫送りとして全国各地行われている。

※この「史跡・伝承について」の解説は、「斎藤実盛」の解説の一部です。
「史跡・伝承について」を含む「斎藤実盛」の記事については、「斎藤実盛」の概要を参照ください。

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