史跡めぐり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 23:15 UTC 版)
茨城県古河市とその周辺:古河公方館跡: 享徳4年(1455年)6月、鎌倉から移座した成氏により築かれ、長禄元年(1457年)10月に古河城の改修が終わるまで使用された。跡地は古河総合公園内。詳細は「古河公方館」参照。 古河城跡: 成氏以降、歴代古河公方の御所。明治末に大規模な渡良瀬川の河川改修が始まり、現在は跡地の大半が堤防と河川敷に変わった。三国橋と新三国橋の中間付近・堤防上に「古河城本丸跡」と書かれた標柱が設置されている。渡良瀬川に面した立地条件は現在も当時のままである。詳細は「古河城」参照。 永仙院跡: もとは「乾享院」と称し、成氏開基の菩提寺であったが、のちに第4代古河公方・足利晴氏の菩提寺になり改称されたと考えられている。現在は、市内桜町にある跡地が市文化財(史跡)として整備され、歴代住持の墓や、公方家侍医・田代三喜の供養碑などがある。詳細は「永仙院」参照。 長谷寺(長谷観音): 成氏が古河城(御所)の鬼門除けとして、明応2年(1493年)、鎌倉から長谷観音を勧請したことが起源。現在は市内長谷町にある。詳細は「長谷寺」参照。ちなみに古河歴史博物館もここから近い。 雀神社: 成氏ら歴代古河公方から崇敬された神社。長禄元年(1457年)に成氏が参拝し、「天下泰平国土安穏」を祈願したと伝えられている。現在は市内宮前町の渡良瀬川堤防隣に立地。詳細は「雀神社」参照。 満福寺: 成氏により開かれた寺院。成氏の墓所がある。現在は野木町野渡にある。詳細は「満福寺」参照。 その他: 市内本町にある尊勝院、市内横山町にある神宮寺、市内牧野地にある鳳桐寺は、成氏に従って鎌倉から移転した。古河城から渡良瀬川対岸の加須市向古河にあった真光寺は、成氏が帰陣の際に休憩所としたことがあり、現在は跡地が残されている。市内本町(八幡町)の八幡神社、同じ市内本町(北新町)の八幡神社は、成氏が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したものである。詳細は各項目の記事を参照。
※この「史跡めぐり」の解説は、「足利成氏」の解説の一部です。
「史跡めぐり」を含む「足利成氏」の記事については、「足利成氏」の概要を参照ください。
- 史跡めぐりのページへのリンク