史料批判による太子信仰研究とは? わかりやすく解説

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史料批判による太子信仰研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:52 UTC 版)

太子信仰」の記事における「史料批判による太子信仰研究」の解説

一方で昭和に至ると、文献批判に基づく太子像の検証が行われるようになる。津田左右吉は、憲法十七条や『三経義疏』の矛盾点指摘し太子伝の多く太子聖人化する目的製作されたとした。津田批判戦時中国家主義者刺激し津田出版法違反有罪となり早稲田大学を去る事となった。 戦後になると津田影響受けた研究者史料批判に基づく太子研究を行う。特に太子信仰研究太子実像に迫る方法位置づけられ、小倉豊文は『聖徳太子聖徳太子信仰』(私家版1963年)で、伝説上・信仰上の聖徳太子歴史上厩戸王区別する重要性説いた田中嗣人は『聖徳太子信仰成立』(1983年)で、その源を天武天皇求めるなど体系的に太子信仰成立過程研究したそうした中で戦前国家主義的な太子観に対す反省行われたが、「和」の精神民主主義平和主義象徴として再解釈され、太子は平和国家の歴史偉人として装い変えて描かれる事となった。その為、戦後GHQ切手紙幣に対して行った規制により戦前偉人肖像姿を消す中にあっても、太子肖像高額紙幣として1984年まで採用され続け事となる。 戦後太子への批判的な研究は、1990年頃聖徳太子虚構説へと至る。大山誠一は『聖徳太子研究再検討』(1998年)などで聖徳太子虚構説唱えその中で光明皇后行信による史料捏造により太子信仰広まったとし、大きな反響呼んだ大山虚構説は、鎌田東二森田悌石井公成らによって批判されているが、太子実像未だ研究の中で揺れ動いていると言える

※この「史料批判による太子信仰研究」の解説は、「太子信仰」の解説の一部です。
「史料批判による太子信仰研究」を含む「太子信仰」の記事については、「太子信仰」の概要を参照ください。

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