史実における玄奘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)
詳細は「玄奘三蔵」を参照 実在の玄奘(602年? - 664年)は、7世紀の僧侶である。俗名は陳褘。隋唐交代期の戦乱を経て武徳5年(622年)に具足戒を受け、経典を学ぶうち、仏教の原典の研究が不可避と考え、貞観3年(629年)国禁を犯して天竺(インド)に向けて出国。西域を経由してインド(ヴァルダナ朝)に至り、ナーランダ僧院で唯識を学んだ。貞観19年(645年)に帰国した際、657部もの経典を長安(現西安市)へ持ち帰り、その漢訳に従事して、麟徳元年(664年)に入寂した。太宗の請いにより旅の経緯を『大唐西域記』12巻として残した(実際には玄奘の記録や口述を弟子の辯機が執筆)。「三蔵法師」の名は経蔵・律蔵・論蔵に精通している僧侶として太宗皇帝から与えられた称号である。この称号は玄奘に限られたものではなく、鳩摩羅什や善無畏・不空などの高僧にも贈られ、"三蔵法師"は必ずしも玄奘のみを意味する名ではない。しかし生前から玄奘の令名は高まっており、多くの人物から崇敬されたため、次第に「唐の三蔵」といえば玄奘を指す傾向が強くなっていく。
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