古巣、新日本プロレス参戦、旧全日本四天王と交流
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「武藤敬司」の記事における「古巣、新日本プロレス参戦、旧全日本四天王と交流」の解説
2004年から他団体のリングに積極的に進出するようになる。2年ぶりに新日本のリングに上がり、1月4日にはボブ・サップとタッグを組み、蝶野&天山広吉に勝利。その後、10月9日には、付き人を務めた西村修と組み、棚橋弘至&中邑真輔と対戦したが敗れている。ZERO-ONEのリングでは、2月29日に大森隆男と対戦して勝利。4月25日には、橋本とタッグを結成して勝利を収めたが、奇しくもこれが最後となった。武藤と並ぶ天才としてプロレスファンから対戦を熱望されていた三沢光晴との対戦アングルが開始された。(試合ではないがこれ以前に2001年にPlayStation 2用ソフト『オールスター・プロレスリング2』のCMとデモムービーの撮影で2人は共演している。また2人の対談は『リングの魂』(テレビ朝日)において実現している)。2004年7月10日に行われたNOAH東京ドーム大会で初対戦(三沢・小川良成組 vs 武藤・太陽ケア組)。この試合では敗れたが、「夢の続き、見ませんか?」と三沢にメッセージを送った。これがきっかけに加えて、小島の対戦直訴により、三沢は古巣である全日本プロレスへの参戦を果たした。10月31日、両国国技館での武藤敬司デビュー20周年記念興行において武藤は三沢とドリームタッグを結成。馳浩・佐々木健介組と対戦して勝利を収めた。 2005年5月14日、新日本・東京ドーム大会でロン・ウォーターマンに勝利。3年ぶりに三冠戦に挑戦したものの、小島に敗北。その後、大相撲の横綱であった曙を呼び、プロレスラーとして育てた。その年の、最強タッグ準優勝に、プロレス大賞では最優秀タッグチーム賞にも輝いた。 2006年、年末の最強タッグリーグ戦には、闘魂三銃士とプロレス四天王のタッグとして川田利明と組み話題性があったものの、小島&天山の「テンコジ」にリベンジされて敗退。優勝を明け渡したが、2007年1月4日の新日本・東京ドーム大会で8年ぶりに蝶野とタッグを組み、テンコジに勝利した。3月には3度目のチャンピオン・カーニバル優勝を果たし、7月の三冠戦(鈴木みのる)には敗れたが、年末の最強タッグリーグ戦では、ジョー・ドーリングと組んで、6年ぶりに優勝。 2008年1月3日、タッグリーグ戦に優勝した勢いで世界タッグ王座を獲得した。4月27日、新日本・大阪大会で中邑を破り、1999年以来となるIWGPヘビー級王者になった。8月31日には、全日本のリングで初めてIWGPヘビー級選手権試合が行われて、G1 CLIMAX2008優勝者の後藤洋央紀を破って防衛に成功。その後、準優勝者の真壁刀義、リベンジに挑んだ中邑に勝利して、4度の防衛に成功。三冠王者になったムタの活躍も併せて評価されて、7年ぶりにプロレス大賞を受賞した。 2009年1月4日、レッスルキングダムIIIで棚橋に敗れてIWGPヘビー級王座5度目の防衛に失敗。3月14日、ムタとして高山善廣に敗れて三冠王座も失った。その後、FIGHTING TV サムライの企画で蝶野と対談。お互いにデビュー25周年興行を行い協力することになり、8月30日にデビュー25周年興行を開催。24年ぶりに同期生の船木誠勝とタッグを結成して、蝶野&鈴木みのる組に勝利した。 また、6月13日に三沢が急逝したため、ライセンス、コミッショナー問題を含めて、再びノアと交流。9月27日に5年ぶりにノアへ参戦。田上明と社長タッグを結成して、小橋建太と初対戦したが敗れた。10月12日に、蝶野のデビュー25周年記念試合で新日本、全日本、ノアによる6人タッグマッチが実現。武藤、蝶野、小橋がトリオを結成して勝利。これで旧全日本の「プロレス四天王」とすべてタッグを結成。
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