古典的なメタファー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:10 UTC 版)
メタファーは古今東西の文学作品に普遍的に存在している。その中でも歴史的に見て、多くの人々に読まれ、影響力の大きなメタファーをいくつか挙げる。 メタファーは現存する最古の文学作品といわれる『ギルガメシュ叙事詩』にも豊富に見だすことができる。同作品は多数の写本が作成され、広く流布したと考えられており、現代の視点でも文学作品として第一級だとしばしば評されている。 聖書は、メタファーと譬え話に満ちた文書の典型としてしばしば挙げられている。聖書およびイエス・キリストのたとえ話は、西洋文学におけるメタファーのありかたに多大な影響を与えている。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっていれば、その人は実をゆたかに結ぶ。 — 新約聖書、『ヨハネによる福音書』 15:5、イエスの言葉 私は、世の光です。私に従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです — 新約聖書、『ヨハネによる福音書』 8:12 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか — 新約聖書『マタイによる福音書』 5:13 ( 「地の塩、世の光」の記事も参照可) 仏教においても、仏陀は、相手に応じて比喩を巧みに用いて説いたとされ、メタファーに満ちた話が現在まで伝わっており、仏教圏の人々には広く浸透している。 『涅槃経』第29巻では比喩を、順喩、逆喩、現喩、非喩、先喩、後喩、先後喩、遍喩の8種類に分類している。その中で、現喩は現前のものをもって表現する比喩で、遍喩は物語全体が比喩であるもののことである。 日本の仏教の文書にもメタファーは見出すことができる。 難思の弘誓は難度海を度する大船、無礙の光明は無明の闇を破する惠日なり — 親鸞『教行信証』総序冒頭部
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