古典的なリテラシー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 14:53 UTC 版)
詳細は「識字」を参照 話し言葉というのは、耳が聞こえ声が出せる人ならば、一般的に言えば、何ら教育を受けたことがなくても、幼い時から日々家族と接しているうちに、いつのまにかそれなりにそれを使うことができるようになる。ところが、書き言葉を扱う能力はそうではなく、基礎段階の訓練が意図的に行われないと身に付かない。現在では先進国と呼ばれている国々でも、ほんの数百年前まで、書き言葉を扱うことができる人々の割合はかなり小さかった。多くの国家が、様々な意図のもと、国民の識字率を改善する政策を打ってきた。だが、現代でも識字率が低いままに留まっている国・地域もまた多く存在する。 書き言葉を読んだり書いたりできないということは、しばしば「書き言葉を伴って成立している様々な領域との接点を失うこと」、「教育が十分に受けられないということ」、また「読み書きを前提とする社会制度や地位には組み入れられてもらえないこと」を意味する。結果として識字能力を持たない人々は、リテラシーを持つ人々と比較すると、さまざまな不利益を蒙ることが多い。「人間の基本的な権利を守ったり、人間らしい生活をおくるため、悲惨な人生を避けるためには識字能力は必要だ」と考えられるようになっており、ユネスコ(国連教育科学文化機関)などが世界各国の人々の識字率がどの程度のレベルにあるのか、実態調査を行っている。
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