古代の貨幣論・貨幣の記録
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「中国の貨幣制度史」の記事における「古代の貨幣論・貨幣の記録」の解説
春秋戦国時代から漢代にかけて多くの貨幣論が書かれた。春秋戦国時代の出来事をもとに書かれた『国語』に登場する単の穆公は、基準通貨と補助通貨の2種類の貨幣で調整をするという子母相権論を説いた。子母相権論は、のちに宋や元の貨幣政策に影響を与えた。『墨子』では刀貨と穀物価格の関係を論じており、『孟子』では一物一価の法則への反論がなされている。『荀子』では貨幣として刀貨と布貨をあげており、貿易の利益を説いた。司馬遷は財政や貨幣について『史記』平準書に書き、貨殖列伝では范蠡の逸話を通して物価の変動を説いている。なかでも貨幣についての記述が多いのは『管子』で、市場の価格形成、金価格と物価の関係、君主による価格統制、天災時の雇用対策として公共事業の賃金労働などを論じている。貨幣論の多くは国家の財政や物価に関するものが多かったが、魏の政治家である李悝は、農民生活の赤字について記しており、農村が貨幣経済によって困窮しやすい問題を論じている。 貨幣についての記録は、『史記』平準書、『漢書』食貨志に記録があり、物価については『史記』、『漢書』、『後漢書』などから確認できる。前漢時代には、塩と鉄の専売をめぐる討論の記録として桓寬(中国語版)が『塩鉄論』を書いた。中国最古の数学書とされる『九章算術』には、租税の計算や、金と銅の比価、利息の計算などの例題が書かれている。文芸作品では、西晋の魯褒が当時の社会を風刺した『銭神論』を書いた。
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