古い駅名標の発見と保存
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 02:53 UTC 版)
2015年8月28日、同プロジェクトにおける駅改修工事(塗装工事)のため外回りホームの広告看板を取り外したところ、壁に直接手書きされた縦84cm・横118cmの古い駅名標が見つかった。貴重な鉄道遺産であることから、欠損部分の復元工事を行った上で、2016年5月29日より現地にて保存公開されている。JR西日本の発表では、字体や右横書きの痕跡などから駅名標は戦前に設置された物とされた。以下の理由などにより、1945年以前に右横書きで同位置の壁に直接書かれており、戦後に現在の形に書き替えられたと指摘されている。 運輸省が駅名標の左横書き化を1945年10月に決定したこと。 歴史的仮名遣(町=ちやう)ではなく1946年11月公布の現代仮名づかい(ちよう)であること。 GHQが1945年9月に使用を指令したヘボン式ローマ字による表記であること。1938年〜終戦当時の規程では訓令式ローマ字が正式であるため、TERADATYOとなる。 「大阪市天王寺區」と書かれているが、駅名標に所在地表示が復活したのは1942年更新・設置分から。開業当時はこの地は天王寺区ではなかった。 開業当時および1936年の当駅の写真に写る駅名標は、壁に直接書いた物ではなく、記載内容も異なっており、書き替えの詳細な時期は分かっていない。ちなみに「ちょう」と小書きせず「ちよう」表記だが、1970年代でも拗音、促音に大文字しか使わない駅名標は各地で見られた。 外回りホームの壁面から発見された古い駅名標(復元前) 同駅名標は復元後に公開保存されている(2016年7月撮影)
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