受難曲の起源とは? わかりやすく解説

受難曲の起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 22:07 UTC 版)

受難曲」の記事における「受難曲の起源」の解説

キリスト教では、聖週間典礼においてイエス受難追想するため、かなり早い時期から受難物語朗唱が行われていた。今日に残る最も古い記録は、スペイン修道女エゲリアが、381年から384年エルサレム巡礼した際、当地行われた礼拝に関するのである10世紀以降ローマ・カトリック教会では、枝の主日聖火曜日聖水曜日聖金曜日典礼において、それぞれマタイマルコルカヨハネ福音書に基づく受難物語指定され助祭がその朗唱担当した朗唱朗唱音と呼ばれる一定の音を繰り返す朗唱定式にしたがって行われ、その調子速度音量等は、表示文字 (litterae significativae) やネウマによって記譜された。受難曲朗唱正確な音程記され最古資料は、パリ国立図書館所蔵する12世紀のコルビ写本収録されているものである13世紀に入ると、クレルヴォーのベルナルドゥスによる受難物語神秘主義的解釈浸透や、ドミニコ会フランチェスコ会等の活動見られる宗教的情熱高揚受けて受難追体験としてのコンパッシオの意義重視されるのとあわせて受難曲朗唱一段と演劇的な手法取り入れられるうになるその1つが複数聖職者役柄分けて歌い交わすもので、確実な記録として残る最古作品は、1254年ドミニコ会グロス本に記されたものである14世紀-15世紀には、受難曲朗唱における登場人物分担一般的となり、福音史家中庸音高保持しながら助祭歌いイエス言葉司祭低い声荘重に歌いその他の登場人物は副助祭高い声で歌うようになる。さらに、ヴロツワフ大学図書館所蔵され1348年書かれ写本では、トゥルバ複数人物による斉唱採用されており、こうした受難曲における演劇的な効果追求は、教会の礼拝の外で演技伴って上演されることで、中世典礼劇母体となって民間広く浸透していく。

※この「受難曲の起源」の解説は、「受難曲」の解説の一部です。
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