南小国町立中原小学校
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南小国町立中原小学校 | |
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北緯33度4分58.5秒 東経131度3分0秒 / 北緯33.082917度 東経131.05000度座標: 北緯33度4分58.5秒 東経131度3分0秒 / 北緯33.082917度 東経131.05000度 | |
過去の名称 | 公立中原小学校 尋常中原小学校 中原尋常小学校 中原尋常高等小学校 南小国村中原国民学校 南小国村立中原小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 南小国町 |
校訓 | ゆたかに かしこく たくましく |
設立年月日 | 1873年(明治6年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B143210001874 |
所在地 | 〒869-2403 熊本県阿蘇郡南小国町中原2469 |
外部リンク | 公式サイト |
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南小国町立中原小学校(みなみおぐにちょうりつ なかばるしょうがっこう)は熊本県阿蘇郡南小国町中原にある公立の小学校。
沿革
- 歴史
- 1873年(明治6年)創立。現校名となったのは1969年(昭和44年)。2023年(令和5年)に創立150周年を迎えた。
- 校訓
- 「ゆたかに、かしこく、たくましく」
- 校章
- 1958年(昭和33年)制定。校庭の大銀杏をモチーフとしたデザインとなっている。
- 校訓
- 1958年(昭和33年)制定。作詞は山口白陽、作曲は滝本泰三による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「中原」が登場する。
- 通学区域
- 南小国町大字中原(全区域)。中学校区は南小国町立南小国中学校。
沿革
- 1873年(明治6年) - 中原村において、北里氏の家屋を借用の上、授業を開始。
- 1874年(明治7年)4月5日 - 学制に規定された小学校に指定される。
- 1875年(明治8年)2月 - 玄徳寺に教場を設け、「公立中原小学校」と称す。
- 1879年(明治12年)- 民家で授業を行う。
- 1885年(明治18年)- 校舎を新築。
- 1886年(明治19年)- 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常中原小学校」と改称。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、阿蘇郡3村(中原・赤馬場・満願寺)が合併の上、「南小国村」が発足。
- 1892年(明治25年)- 「中原尋常小学校」に改称。
- 1902年(明治35年)- 校舎を新築。
- 1917年(大正6年)4月 - 雨天体操場が完成。
- 1921年(大正10年)- 農業補習学校を併置。
- 1923年(大正12年)4月 - 高等科を併置の上、「中原尋常高等小学校」に改称。
- 1924年(大正13年)- 校舎を新築。
- 1929年(昭和4年)4月 - 青年訓練所充当農業公民学校[1]を併置。
- 1935年(昭和10年)- 青年学校令施行により、併置の青年訓練所充当公民学校が青年学校となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「南小国村中原国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。厚生塾が完成。
- 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 4月1日 - 国民学校初等科は、新制小学校「南小国村立中原小学校」に改組・改称。
- 5月 - 国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校「南小国村立南小国中学校中原分校」に改組・改称。
- 1948年(昭和23年)9月 - 南小国中学校の新校舎が完成し、中原分校の生徒が南小国中学校本校へ転出。中原分校が廃止される。
- 1954年(昭和29年)
- 3月 - 木造新校舎が完成。
- 10月 - ミルク給食を開始。
- 1957年(昭和32年)11月 - 完全給食を開始。
- 1958年(昭和33年)7月 - 校旗・校歌・校章を制定。
- 1969年(昭和44年)11月1日 - 町制施行により、「南小国町立中原小学校」(現校名)に改称。
- 1973年(昭和48年)4月 - 体育館が完成。
- 1977年(昭和52年)4月 - プールが完成。
- 1988年(昭和63年)5月 - 鉄筋コンクリート造新校舎が完成。
- 1998年(平成10年)11月 - プールを改修。
交通アクセス
- 最寄りの幹線道路
周辺
- 和田簡易郵便局
- 南小国町立南小国保育園
- 中原菅原神社
- 熊野座神社
- 中原川
参考文献
脚注
関連項目
外部リンク
- 南小国町立中原小学校のページへのリンク