南千住回向院とは? わかりやすく解説

南千住回向院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 07:00 UTC 版)

回向院」の記事における「南千住回向院」の解説

東京都荒川区南千住五丁目にある寺で、過去両国回向院別院。現在は独立して正称豊国山(ほうこくさん回向院小塚原回向院とも。 1651年慶安4年)に新設され小塚原こづかっぱら、こづかはら)刑場での刑死者を供養するため、1667年寛文7年)に本所回向院住職弟誉義観(ていよ・ぎかん)が常行堂創建したことに始まる。 この寺には、安政の大獄により刑死した橋本左内吉田松陰頼三樹三郎ら、また「毒婦」と云われた高橋お伝などの歴史上の有名人物が葬られている。 1771年明和8年)に蘭学者杉田玄白中川淳庵前野良沢らが刑死者の解剖腑分け/ふわけ)に立ち合ったことを記念した観臓記念碑建立1922年)がある。 戦後代表的な誘拐事件通称吉展ちゃん事件」の犠牲者村越吉展(当時4歳)の供養のために建立された「吉展地蔵尊よしのぶじぞうそん)」がこの寺の入り口にある。(荒川区円通寺にも「吉展地蔵尊」がある。) この寺は常磐線沿線にあり、鉄道敷設の際に南北分断されるその後分断され南側部分独立して延命寺となる。 延命寺敷地内には3.6m余の延命地蔵尊(俗称首切り地蔵)がある。(2011年3月11日起きた震災左上腕部接合部破損したが、翌年修復された。) 2006年全改工事済(会館永代供養塔の新設及び墓地改装) 観臓記念碑 吉展地蔵尊

※この「南千住回向院」の解説は、「回向院」の解説の一部です。
「南千住回向院」を含む「回向院」の記事については、「回向院」の概要を参照ください。

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