半鋼製車体の採用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 08:39 UTC 版)
「参宮急行電鉄2200系電車」の記事における「半鋼製車体の採用」の解説
日本では明治・大正期を通じて客車・電車の車体は木造が普通だったが、電車は1923年の神戸市電を皮切りに、車体を鋼鉄製とすることが一般化、1930年時点では新規製作されるほとんどの電車が鋼鉄製車体となっていた。全木造の車体は、衝突・転覆事故ではばらばらに粉砕され、列車火災では容易に燃えるなど、危険度が高かったからである。 当初は外板と骨組みは鋼製としつつ、内装は従来通り木製とした「半鋼製車」が普通だったが、1925年に阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)は、日本で初めて内装まで鋼鉄製とした「全鋼製車」600形電車を川崎造船所(のちの川崎車輛)で製造し、翌1926年以降は全鋼製車を標準とした。全鋼製車は衝突事故や列車火災時の安全性がより高まるメリットがあり、1927年以降の関西私鉄各社では、これに追随して全鋼製車を導入する例も増えつつあったが、全鋼製車は重量がかさむため参急では長距離車についてあえて半鋼製車とした。 重量のみならず、車内保温(特に山間部の桜井駅 - 伊勢中川駅間における冬季での保温性)や内装の仕上げ面から言えば当時は半鋼製車の方が有利でもあった。全鋼製車の鉄板ペンキ塗り内装は、木張りに慣れた当時の乗客にはまだ違和感があったようである。阪急などはこの克服のため内装鋼板に木目調印刷を行う高度な技術を用いて対処したが、当然ながら高コストだった。ビニールやメラミン樹脂等の新素材によってこの種の技術が低コスト化されたのは1960年代以降である。
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