化学工学の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 01:45 UTC 版)
イギリスにおける産業革命の進展により、化成品の量と質に対する要求が急増し、結果として生産工程の効率化と大規模化が必要となったのが嚆矢である。 工業化学は1800年代中盤より発展しつつあったが、大規模な化学プロセスの制御に工学的手法が有用であるという発想は1880年代まで現れなかった。 1887年にジョージ・デーヴィス(en:George E. Davis)がマンチェスター工業学校(Manchester Technical School, 後のマンチェスター理工科大学)において、化学産業における実用的手法について一連の講義を行ったが、一般的にはこの時に化学工学が学問分野として成立したとされる。 一方アメリカでは、第一次世界大戦の前後、内燃機関の発達とそれに伴う石油化学産業の必要性から、有機化学製品の大量生産が要求されるようになった。 しかし、プラントにおける実際の処理を研究対象とする学問はなく、それぞれが経験や勘に基づいた処理を行っていたため、最適なプラントを設計する学問が求められた。 反応、分離、精製といった物理的処理を整理し、プロセスを合理的に構成しようという試みが為され、化学工学の思想の根幹ともいえる「単位操作(Unit operation)」という概念が提唱された。 これにより関連がなかった個々の製造体系を、単位操作の組み合わせであるとして同じ学問で研究することを可能にした。 当初はこの単位操作の確立と応用を中心としたが、やがて1940年代にはプロセスの中心となる反応に関する研究が不可欠となり反応工学が生まれた。 さらに1960年代には各単位操作に共通な問題を研究するため、移動現象論や粉体工学が成立した。 1970年代にプロセス全体を扱うプロセスシステム工学を生み出した時点で、化学工業のプロセスを総合的に研究する学問として化学工学は確立されたといえる。
※この「化学工学の歴史」の解説は、「化学工学」の解説の一部です。
「化学工学の歴史」を含む「化学工学」の記事については、「化学工学」の概要を参照ください。
- 化学工学の歴史のページへのリンク