動詞活用形の歴史的成立過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 01:50 UTC 版)
「宮古語」の記事における「動詞活用形の歴史的成立過程」の解説
宮古語の動詞の終止形は、2種類が併用されている。「書く」ならばkakï、kakïmの2種類である。しかし、伊良部島や宮古島北部の狩俣などでは、kafu、kafumという形も使われている。また隣の八重山方言ではkaku、kakunという形もある。これらのうち、mを含まないkakï、kafuという終止形は、連体形と同形であり、また四段動詞では連用形とも同じ形となっている。つまり宮古語では四段動詞の連用形・終止形1・連体形の語形がそろう形となる。これらの成立過程を巡っては、北琉球方言と同じように連用形に「をり」を付けた形から派生したとする融合説がある一方、「をり」を含んでいないとする非融合説もある。 名嘉真三成は、宮古島狩俣方言に現れるkakï、kakïm、kafu、kafumという4つの終止形を検討し、kafuは*kakiworiから来ているとしている。名嘉によれば、その成立過程はkakiwori→kakjuri→kakuri→kafurï→kafuï→kafuである(当地の音変化規則で*rïはïになる)。しかしながら、宮古語での音韻対応では、*koがkuになり*kuがfuになるが、*koがfuに対応する訳ではないのでこの変化過程は不自然とも言える。名嘉は、他の語形についても、宮古・八重山方言ではkakiwori→kakjuri→kakiri→kakïrï→kakïː→kakï、kakiwori→kakjuri→kakuri→kakuと変化したとしている。 内間直仁は、宮古・八重山方言のkakï・kakuは、連用形と同じ*kakiが変化したものと推定している。また、kakïm、kakunなどは「連用形+む」から来ているとする。内間が非融合説を取る根拠として、1.北琉球方言では非融合の活用形(未然形haka、条件形hakeː、連体形haku)と融合形(未然形hakura、条件形hakureː、連体形hakuru)とが共存しているが、南琉球では融合形による活用形が存在しないこと、2.南琉球方言では*kakiにあたる形が「書く」、*kakiworiに当たる形(例、石垣島川平でkakiurï)が「書いている」の意味を表すが、北琉球方言では*kakiworiに当たる形が「書く」、*kakiteworiにあたる形が「書いている」の意味を表し、構造的なずれがあることを挙げている。しかしながら宮古語にkafuという形もあり、宮古語一般にはki→fuという変化は認められないため、内間説ではkakïは説明できてもkafuについては説明が難しい。 四段動詞では連用形・終止形1・連体形が同形だが、二段動詞では(「起きる」を例にとる)連用形はukiだが終止形1・連体形はukiïであり、同形ではない。内間は終止形1・連体形について*okiri→ukiïと推定している。一方、狩俣繁久は連体形に由来するとし、しかも下一段活用だったと見て*okeru→ukiïと推定している。また本永守靖もuで終わる日本語古来の終止形(あるいは連体形)に由来する形が宮古語に残っていると見ている。根拠の一つとしてはハ行四段動詞が宮古語でkoː(買う)、umuː(思う)のようになる点がある。これは音変化規則から、連用形*kai、*omoiからではなく、終止・連体形*kau、*omouから変化したと考えられる。また、kafuは終止・連体形*kakuからの変化と考えられる。本永は、宮古語の終止・連体形は、類推によって連用形と同形に統一されたとする。終止形語尾は、宮古語の音変化規則によって、su→sï、cu→cï、zu→zï、nu→n、mu→m、ru→ï、vu→vとなり、連用形と同形になってしまう。そのため、ku・gu・buだけがuを残しているため、語形を統一する動きが起こったとしている。
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