劉備の馬とは? わかりやすく解説

劉備の馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 10:05 UTC 版)

的盧」の記事における「劉備の馬」の解説

『三国志』では蜀書先主伝」注に引く『世語』に記載がある。劉備劉表のもとに身を寄せていた時期蔡瑁蒯越が謀って宴会かこつけて劉備害そうしたため劉備的盧乗って単騎逃走したところ、渓の水中はまって出られなくなってしまった。そこで劉備的盧に「的盧的盧、ついに祟ったか」と言うと的盧一躍三丈を跳び、そのために難を逃れる事ができたという。 明の張溥が西晋傅玄文章を輯した『傅鶉觚集』の「乗輿馬賦序」によれば劉備が的顱に乗る至った来歴大略次の通りである。曹操劉備降った際に駿馬下賜するため、劉備に厩で馬を選ばせた。名馬は百をもって数えた劉備意に沿うものはなかった。劉備は下厩で痩せくたびれて骨の浮き出た的顱馬を見つけて撫でてやり、これをもらい受けた人々嘲笑したその後劉備荊州逃走する際、的顱は電光のように速く追手をまいてしまい、人々態度改め感服した。 『水経注』沔水注では「劉備景升劉表)の謀るところとなり、的顱に乗って西のかた逃走し、この渓(渓)に墜落した」との記述がある。三国志の記述とほぼ異同がないが、劉表劉備暗殺首謀者であった明言している。 なお、唐の詩人の胡曾の『詠史詩』に渓に臨む的盧を詠った句があり、『全唐詩』巻647に「渓」と題して収められている。 小説『三国志演義』第34回ではこれらの逸話脚色し大い見せ場としている。もとは降将張虎乗馬であったが、劉備張虎討伐した際に乗馬見て間違いなく千里の馬である」と感嘆し張虎打ち破る奪って劉表贈った。しかし、馬を見た蒯越が「眼下に涙漕があり、額辺に白点がある。これを的盧といい、乗り手祟りをなす馬である」と忠告したため、劉表的盧劉備突き返した劉備にも伊籍が凶馬であるとの忠告をしたが、劉備は「死生命あり、どうして馬に運命妨げることができようか」と取り合わなかった。その後劉備蔡瑁追いかけられていた時、大きな川が道を塞いだ劉備は「的盧的盧私の運命妨げるか!」と鞭打つと、突然飛び上がり一躍対岸へとたどり着いたという。 第63回では成都攻略中に龐統が馬を進めている間、龐統の馬の前足折れたため、劉備龐統乗馬白馬譲った。そして、攻略向かおうと落についた所、劉備間違われ張任に矢の一斉射撃食らって死亡している。 文中では「白馬」と称されているのみであるが、これが的盧であった可能性もある。

※この「劉備の馬」の解説は、「的盧」の解説の一部です。
「劉備の馬」を含む「的盧」の記事については、「的盧」の概要を参照ください。

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