劉備の生前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 14:48 UTC 版)
211年、劉備入蜀の際、彼が指揮を執る軍の配下として随行し、何度か戦功を立て、牙門将軍に昇進した。 219年、漢中王に即位した劉備は成都に帰還する際、漢中の地を要害とした。人々は重鎮の張飛が起用されるであろうと思い、張飛もそう思っていた。しかし、予想に反して劉備は魏延を漢中督・鎮遠将軍・漢中太守に抜擢した。劉備が群臣との会合の場で、魏延に重任を拝命する際の抱負を問うたところ、「曹操が天下の兵を挙げて攻め寄せるならば、大王のためにこれを防ぎ、曹操配下の将軍が10万の兵で来るならば、これを併吞する所存でございます」と語った。劉備や群臣はその勇敢な発言に感心した。 222年、劉備が夷陵の戦いで敗北し黄権が魏に降伏すると、その後を受けて鎮北将軍に昇進した。
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