分子ガストロノミーの成り立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 06:14 UTC 版)
「分子ガストロノミー」の記事における「分子ガストロノミーの成り立ち」の解説
1992年、イタリアのエーリチェに科学者と数人の料理の専門家が集まり、伝統的な料理を科学的に分析を行うことを論議するために研究会を開催した。この研究会をハンガリーの物理学者ニコラス・クルティ (Nicholas Kurti)は、"Molecular and Physical Gastronomy(分子/物理ガストロノミー)" という造語で命名した。この研究会(当初は "Science and Gastronomy(科学とガストロノミー)" と称されていた)のもとをたどれば、ロンドンのル・コルドン・ブルーで学び、カリフォルニア州バークレーで料理学校を経営していた無名に近い女性、エリザベス・コードリー・トーマス (Elizabeth Cawdry Thomas)にまで行き着く。物理学者との結婚歴もあり、トーマスは科学者達との親交と料理の科学的分析に興味を持っていた。1988年、彼女がエーリチェにあるエットーレ・マヨラナ科学文化センターで開催された会議に出席中、ボローニャ大学の教授ウーゴ・ヴァルドレ (Ugo Valdrè) との会話で料理に科学的分析が軽視されているとの賛同を得て、エットーレ・マヨラナ・センターで研究会を開く事を促された。やがてトーマスは、エットーレ・マヨラナ・センター理事で物理学者のアントニオ・ツィキキ(イタリア語版)に会い、意気投合する。トーマスとヴァルドレはクルティに研究会の理事の話を持ちかけた。このころのクルティはすでに料理の科学的分析に強い興味を持っており、1969年にロンドンでその原理について公に講演を行ったり、"The Physicist in the Kitchen (物理学者、厨房に立つ)" と題した番組で司会をしていた。。トーマスとクルティ、加えてクルティの紹介で著名な料理科学ライターのハロルド・マギー(英語版)とフランスの物理化学者エルヴェ・ティス (Hervé This)が、研究会の共同主催者として名を連ねることになった。ただし、マギーは1992年の初会合後は役を降りている。 1998年にクルティが死去し、会議の名はティスによって "The International Workshop on Molecular Gastronomy 'N. Kurti"(「N.クルティ」分子ガストロノミー国際研究会)" と変えられた。ティスは、以後1999年から2004年まで、研究会の運営統括に尽力している。"Molecular and Physical Gastronomy(分子/物理調理学)" はティスが材料の物理化学で Ph.D. の学位論文の題名にしたものだが、一方で "Molecular Gastronomy(分子ガストロノミー)" はティスが食材と調理を科学する領域での仕事を指す語として使っており、彼の著書の題名でもある。 科学で培われた技術を食の研究に使うという発想は新しいものではなく、18世紀にまでさかのぼれるし、すでに何年ものあいだ食科学という分野が存在している。クルティとティスは同業の仲間として、食科学に通常の調理の過程(食科学は主に栄養素と工業生産規模の調理過程をあつかっていた)を研究する新たな専門分野を立ち上げる事にした。 科学の一分野の創設が研究会のそもそもの目的ではなかったものの、ここを起源として成立したものである。
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