函館要塞概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 01:00 UTC 版)
函館要塞は陸軍の千畳敷砲台、御殿山第一砲台、御殿山第二砲台、薬師山砲台及び立待保塁、海軍の機雷で構成される。 仮想敵国をロシア帝国とし、1896年(明治29年)頃から「敵軍ヲシテ本湾ヲ利用セシメサル事」を目的に要塞設置が計画され、1897年(明治30年)11月函館要塞砲兵大隊が編成され、亀田村の現西堀病院跡地に当たるところに仮事務所を開設、仮兵舎として五稜郭の旧兵糧庫をあて、橋の傍らに28 cm榴砲弾1門を置き演習を始めた。1898年(明治31年)6月には薬師山砲台が起工し、同年9月28日の陸軍省告示第11号により函館要塞周辺区域が示された。同年6月御殿山第一砲台の起工、同年9月に御殿山第二砲台の起工となる。同年11月25日、函館要塞砲兵大隊は北海道亀田郡亀田村千代ヶ岱に移転した。1900年(明治33年)5月23日、函館要塞司令部が函館要塞砲兵大隊構内に開庁した。1903年(明治36年)6月25日、函館要塞司令部が函館区谷地頭町に移転し同日より事務を開始。 要塞諸施設の完成後に日露戦争(1904年(明治37年)2月8日から1905年(明治38年)9月5日)を迎え、函館要塞も動員されるが、ロシア帝国ウラジオストク艦隊の軍事挑発を阻止できず北海道が孤立混乱した。具体的に艦隊は1904年(明治37年)7月20日に日本海より津軽海峡に侵入し、そのまま太平洋に抜けて反転、30日に再び侵入し、日本海に抜けた。その間船舶は出港を見合せた。 1919年(大正8年)の要塞整理案により廃止された。
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