出現と経緯とは? わかりやすく解説

出現と経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 03:38 UTC 版)

メジュゴリエの聖母」の記事における「出現と経緯」の解説

聖母初め現れたのは、1981年洗礼者聖ヨハネ祝日にあたる6月24日水曜日のことであったその日メジュゴリエ小教区内にあるビヤコヴィッチの小村落に住んでいるイヴァンカ・イヴァンコヴィッチ(15歳)とミリアナ・ドラギツェヴィッチ(17歳)の二人の少女が、山の方に散歩に出かけた。突然、イヴァンカ前方に何か人間らしい姿をしたほの明るいものが現れた(以上が、第1回)。イヴァンカとミリアナは昼寝をしていたヴィッカ・イヴァンコヴィッチ(16歳)に「目が覚めたら、ヤコブの家に来なさい」という伝言残して出て行った。ヴィッカが目が覚めて出かける途中リンゴ摘み取っていたイヴァン・イヴァンコヴィッチ(20歳)とイヴァン・ドラギツェヴィッチ(16歳、ミリアナとは姉弟関係にはない)に出会い、この二人連れて行く。それから、ミルカ・パブロヴィッチ(13歳)もこの一行加わった。ミリアナとイヴァンカ加わり第一回同様にイヴァンカ最初に人間らしいものを見つけたが、全員逃げ帰る。(中略)翌6月25日イヴァンカ、ヴィッカ、ミリアナ、イヴァン・ドラギツェヴィッチ、ミルカの姉マリア16歳)、ヤコブ・ツォロ(11歳)の6人のグループができた(第3回以降1982年12月25日10番目の秘密伝えられたミリアナは以降見ることができなくなりグループは5人となる。)(中略証人として2人大人加え前日と同じ時刻・場所に行った。(中略)そこには、聖母の姿が彼らを待ち受けていた。ある内からの力によって、彼らは跪き祈り始めた。(中略大人には何も見えなかった。(中略)そして、聖母は皆の和解と平和を望んだのである子供たち大喜び帰って行った3日目一大群衆となった。2~3千人集まったようである。 1981年6月24日6人の青少年(ミリアナ、イヴァンカマリアイヴァン、ヴィッカ、ミルカ)が丘の上に幼い子供を腕に抱いた白い人物の出現見たと言いだした。青少年達のうちの4人がそれは聖母マリア出現であると思い翌日の同じ時間その場に行かなければならない、と強く感じた、と主張した。残る2人加わり、彼らは聖母マリア祈り話したとされるその日から、若者達は全員一緒にあるいは個別に、聖母の出現を受けるようになった、としている。現在も、支持者達は、聖母の出現続いていると主張しメジュゴリエの聖母教え称してインターネットなどを通じて伝えている。 なお、現地司教区は、調査結果否定的な見解打ち出し、その姿勢はジャニッチ司教後任のラトゥコ・ペリッチ司教共々継続されている。1982年5月幻視者と主張するイヴァンは、「聖母の姿に似せた出現記念した大聖堂が、6月完成する」と予言したが、外れてしまい、そのたび予言は引きのばされた。この運動擁護したヴェゴ神父は、修道女誘惑し妊娠させてしまい、それを問題視しヨハネ・パウロ2世直々の命により解任され還俗結婚し5人の子供を作り、この運動のグループ形成したメジュゴリエセンターに勤務している。

※この「出現と経緯」の解説は、「メジュゴリエの聖母」の解説の一部です。
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