出現と概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 21:02 UTC 版)
ミニステリアーレ層が出現したのは10世紀前半のことであり、ローマ王コンラート2世によって多くのミニステリアーレが導入された。同時期のフランス(カペー朝)やイングランド(ノルマン朝)の騎士と異なり、領主との契約によって臣従が規定されていただけでなく、彼らは自分たちの領主によって理論上「所有」されていることが多かった。これはミニステリアーレの起源が非自由身分の戦士出身であったことから、領主への経済的依存と世襲制が絡み合った結果に起因するものだからである。騎士、ラテン語でミリテスmilitesは、その人物の軍事的実力を暗示する単語であるが、このmilitesという語は戦士であるだけでなく、大変な実力者であることを示す自由騎士、すなわち経済的に他に依存する必要のない独立した領地を維持することの出来る支配階層を指す語としても用いられるのである。このため非自由身分の戦士層(ミニステリアーレ)と自由騎士を区別する用語が、特に法律学の立場から必要とされ、自由騎士は次第にミリテス・リベリmilites liberiという語が適用され、ミニステリアーレと区別されるようになった。しかしこのように厳密に区分されていたのは13世紀までで、14世紀になると両者の区別は次第に消滅していった。
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