出現から終焉まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:42 UTC 版)
官暦は科学的ではあったものの、庶民は天文学的な知識より日の吉凶を求めた。こうした需要に応えて、旧暦や暦注などを記載した「お化け暦」が密かに刊行されるようになった。お化け暦は度々禁止されたものの急速に普及し、取り締まりの目を逃れて大量に流通した。また、一枚刷りの略暦は取り締まりの対象ではなかったため、商店の名前を入れたチラシとして新旧の略暦を記載した「引札」も普及するようになった。さらに、明治末には「日めくり」が登場し、これも取り締まりの対象外とされたため、旧暦が記載された。これらによって、官暦である神宮暦は年々頒行数を減少させていった。 お化け暦の全盛期は明治から大正にかけてであった。お化け暦は政府の取り締まりが厳しく、所持していただけでも連行されてどうやって入手したのか追及され始末書を書かされたと言われており、摘発される恐れのない日めくりが普及すると、お化け暦は次第に下火になっていった。1941年(昭和16年)には俗暦類の取り締まりが徹底され、また戦時体制下における紙の不足もあって、お化け暦はほぼ壊滅した。そのため、この年は神宮暦の頒行数が急増した。1942年(昭和17年)には、略暦・日めくりも含めて暦注の記載は全面的に禁止されている。 太平洋戦争終戦後の1945年(昭和20年)12月15日、GHQによる神道指令によって神社に対する国家の援助が禁止されると、東京天文台が編纂した官暦を伊勢神宮が頒行するという形も取りやめとなった。暦書類は自由に発行できるようになり、神宮暦も唯一の官暦から民間暦の一つに過ぎなくなった。これにより、「お化け暦」という呼称は消滅した。
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