再拡散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/06 01:44 UTC 版)
しかし1939年、デンバーの音楽家ハリー・リー・ウィルバー(Harry Lee Wilber)が、この捏造記事が作られた経緯と「記事が義和団の乱の原因となった」という後日談を雑誌に発表したことから、捏造記事の存在は改めて知られることになった。ウィルバーによれば、記事発表前日の1899年6月24日夜、記事不足に困った『リパブリカン』『デンバー・タイムズ』『デンバー・ポスト』『ロッキー・マウンテン・ニュース(Rocky Mountain News)』4紙の記者が共謀し、記事を捏造したのが発端だったという。4人はオックスフォード・ホテルでビールを飲みながら捏造を謀議し、疑われにくい外国の事件で、しかも関心を呼ぶものを、ということで、万里の長城を解体することにした。解体の情報はウォール街の会社から派遣され、中国に向かう途中でデンバーに立ち寄った技術者一行から取材した、という設定にした。捏造が露見しにくいよう、4人はウィンザーホテルに向かい、宿帳にサインをして一行が宿泊していたかのように見せかけるとともに、ホテルの係には聞かれたら一行が新聞社と話をしていた、と証言するよう話をつけた。各自が捏造した記事は翌日の新聞に掲載された。2週間後には東海岸の大新聞の日曜版が解体の件を絵入りで報じ、「ニューヨークを訪問した中国の役人が報道を認めた」と情報が付け加えられていた。その後、解体報道は史実のように全世界に拡散していった、とされる。 ウィルバーは記事発表の数年後の話として、次のような後日談を付け加えた。ヘンリー・W・ウォーレン(Henry W. Warren)という名のメソジスト監督教会の伝道者が中国から帰国し、デンバーで説教を行うことになり、捏造を行った記者の1人が取材を行うことになった。ウォーレンは捏造記事が中国に伝わり、論評付きで報道されたことから、アメリカ人が長城を破壊し、国土が憎むべき外国人に開放されることに憤った義和団が騒乱を引き起こした、と語ったというのである。 ウィルバーはこうした経緯をどのようにして知ったのかを明らかにしておらず、捏造記事と義和団の乱との関連は立証されてはいないが、ウィルバーの記事の内容は転載や引用により、拡散していった。1956年には同様の事件を集めた書籍に収録された。1958年に刊行された書籍ではウィルバーの記事と同様の経緯が紹介されたが、「問題の記事はデンバー全紙が一面に掲載した」「一連の経緯は4人の記者のうち最後に生き残った1人が明らかにした」といったウィルバーの記事にはなかった情報が付け加えられた。また1970年にデンバーで刊行された雑誌では、ヘンリー・W・ウォーレンという名の人物が実際に該当の時期に伝道活動を行っていたことが確認された。こうした付加に裏付けを得る形で記事は拡散を続け、嘘話を収集した書籍ではウィルバーの記述を丸呑みする形で紹介するものもある。
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