再挙兵の準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/17 14:48 UTC 版)
義熙年間(405年 - 418年)、劉裕は南燕の慕容超を討った。始興郡(広東省韶関市)の太守徐道覆は、盧循の姉婿だった。劉裕の軍事的才能を恐れていた彼は人をやって盧循にこの隙を突いて出撃するように勧めたが、盧循は聞き入れなかった。そこで徐道覆は自ら出向いて強い口調で説得したため、盧循はやむなく従った。 徐道覆は船を密かに準備しておこうと考え、人をやって船材を南康山(江西省贛州市南康区付近)で伐らせ「川を下って都で売るのだ」とごまかしていた。その後労力不足で売りに行けなくなったと言い、郡城で安く売り払った。木材を運ぶ川には流れの急な難所があって、船を出すのが極めて難しいという事情があったため、人々は信じて購入し、木材はそのまま寝かせられていた。やがて挙兵のときが来ると、徐道覆は売却の証文と照らし合わせながら人々から全ての材木を取り上げ、船の建造を10日ばかりの間でやりとげたのである。
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