円高とデフレーション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:21 UTC 版)
「日本の貨幣史」の記事における「円高とデフレーション」の解説
1980年代後半から日本はバブル景気となり、好況は1991年2月まで続いた。1990年代前半にはバブル崩壊が始まり、日本銀行が金融政策で緊縮策をとったため状況は悪化して、円高とデフレーションが進行した。当時の政策の問題点として、(1)利下げの遅さ、(2)財政支出の少なさ、(3)金融機関の不良債権処理の遅さなどがあげられる。実質実効為替レートは、交易条件の改善を上回って上昇したため、輸出産業の収益性が悪化する円高につながった。この種の円高は大きく3つの時期があり、1992年半ばから1995年、ITバブルが崩壊した2000年から2001年、リーマンショックがあった2008年以降となる。 日本経済の長期停滞は、失われた10年や失われた20年とも呼ばれる。1990年以降は、消費・投資・生産などの実物的現象がアップダウンで推移しているのに対して、物価・為替レートなどの貨幣的現象はGDPデフレーターが1994年以降にマイナスで推移し、為替はドル/円レート、名目実効為替レート、実質実効為替レートのいずれの指標も悪化している。その理由として、(1)国内的にはデフレの持続、(2)対外的にはプラザ合意以降の円高の持続があげられており、総需要の停滞およびデフレの進行という解釈と整合する。日本銀行はゼロ金利政策を導入し、のちに量的緩和政策を行なったが景気は回復しなかった。超低金利のもとでの金融政策が景気刺激につながらない点については、流動性の罠の観点からも分析されている。デフレーションが継続したため、インフレターゲットの導入について2002年から2012年にかけて論議がなされたが日本銀行は採用せず、のちに物価安定目標を2%と定めたインフレターゲットが導入された。
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