内山真竜とは? わかりやすく解説

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内山真竜

読み方うちやま またつ

江戸中・後期国学者遠江豊田生。名は敬美・竜麿、通称弥兵衛・徳右衛門、号は竜洞・奉国史翁等。渡辺蒙庵・賀茂真淵師事名主として村政司る傍ら研鑚努め、その門から夏目甕麿小国重年等を輩出した遠州国学育ての親著書に『日本紀類聚解』『遠江風土記伝』等がある。文政4年(1821)歿、82才。

内山真龍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 13:42 UTC 版)

内山 真龍
人物情報
別名 通称:彌兵衛、徳右衛門
生誕 元文5年1月1日 (1740-01-29) 1740年1月29日
日本遠江国豊田郡大谷村(現・静岡県浜松市天竜区
死没 文政4年8月22日 (1821-09-18) 1821年9月18日(81歳没))
日本
国籍 日本
両親 父:内山美真
学問
時代 江戸時代中期~後期
研究分野 国学
主な業績 遠江における国学の基礎作り
主要な作品 『出雲風土記解』
『遠江国風土記伝』
『日本紀類聚解』
影響を
受けた人物
賀茂真淵
渡辺蒙庵
田中道麿
影響を
与えた人物
石塚龍麿
夏目甕麿
小国重年
高林方朗
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内山 真龍(うちやま またつ、1740年1月29日元文5年1月1日)- 1821年9月18日文政4年8月22日))は、江戸時代中期から後期の国学者である。初名は市六後に龍麿。通称は彌兵衛、徳右衛門。号は龍洞等。本姓は藤原。

経歴

商人の内山美真の長男として遠江豊田郡大谷村(現在の静岡県浜松市天竜区)に生まれる[1]家業を継いだ後の1760年宝暦10年)に転居し、1762年(宝暦12年)11月賀茂真淵・渡辺蒙庵・田中道麿の門人となった[2]

1996年11月、故郷の浜松市で真龍の資料館が創設された[1]

業績

真淵からは和歌や『日本書紀』といった古文学や蒙庵からは儒学を学び、後に本居宣長と協力して遠江における国学の基礎を築いた。真龍の学問の特徴は、実地踏査を主とした実証的実利的なところにあり、『出雲風土記解』『遠江国風土記伝』『日本紀類聚解』などの著述を残した[1]。『日本紀類聚解』は光格天皇の天覧を得て絶賛された[1]。その後、『風土記』の研究のために全国を訪れ、多くの儒学者や詩人等と親交を持った。また、同時期に多くの国学者を輩出し、遠江国学の発展に尽くした[1]

主な弟子

主な著作物

主著

  • 『日本紀類聚解』- 1812年文化9年)刊行。写本で、全15巻からなる。
  • 『出雲風土記解』- 1787年天明7年)刊行。写本で、全3巻からなる。

その他の著書

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 遠江国学の流れ|内山真龍 -人と業績-”. www.mabuchi-kinenkan.jp. 賀茂真淵記念館. 2022年8月22日閲覧。
  2. ^ 浜松市. “内山真龍資料館”. 浜松市公式ホームページ. 2022年8月22日閲覧。

出典

関連文献

外部リンク




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