佐藤誠実とは? わかりやすく解説

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さとう‐じょうじつ〔‐ジヤウジツ〕【佐藤誠実】

読み方:さとうじょうじつ

[1839〜1908]国学者江戸生まれ。「古事類苑編纂(へんさん)に従事。著「日本教育史」など。


佐藤誠実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/13 04:39 UTC 版)

佐藤 誠実(さとう じょうじつ/のぶざね、1839年12月28日(天保10年11月23日)- 1908年(明治41年)3月31日)は、幕末から明治時代の国学者である[1][2]。幼名は造酒、号は黙齋[1][2]

経歴・人物

江戸浅草東京市浅草区北清島町、現在の台東区)の浄土真宗大谷派正行寺にて生まれる[2][3]。幼年期より同寺院の住職となった[4]。後に和漢の学問について学び始め[2]、漢学を安積艮斎に、国学を黒川春村から学んだ[3][1][2]

明治維新により1872年(明治5年)に文部省(現在の文部科学省)に入省し[1]、後に帝国議会の前身である元老院で勤め始めた[4]。1880年(明治13年)には廣池千九郎らと共に『古事類苑』全355冊の編纂に携わる[3]。1883年に東京大学(1886年に帝国大学令によって東京帝国大学となる)御用掛兼務を命ぜられ古典科講師嘱託として教鞭を執った[3][1][2]。1891年に東京音楽学校教授に任じられたが、1895年に『古事類苑』の事業が神宮司庁に継承され編纂長となることを請われたことで、音楽学校教授の職を辞し古事類苑編纂長となり[3][1][2]、元老院生への編纂の指導に携わった[2][4]

1899年(明治32年)には文学博士に認定された[4]。後にこの百科事典(正しくは類書というべき[5])を、1906年(明治40年)10月に完成させた[4]

著書

単著

論文、雑誌

脚注・参考文献

参考文献

脚注

  1. ^ a b c d e f デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『佐藤誠実』- コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『佐藤誠実』- コトバンク
  3. ^ a b c d e 佐藤誠実『日本教育史 修訂』、著者小伝頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1461357/1/5 
  4. ^ a b c d e 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)『佐藤 誠実』- コトバンク
  5. ^ 嵐義人『瀧川博士と考証学』、357頁https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/11932361/1/180 
  6. ^ 佐藤誠実『日本教育史 修訂』、緒言頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1461357/1/6 
  7. ^ a b c 東京大学国語研究室蔵 黒川文庫目録し・す」2013年3月25日。 

関連項目




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