夏目甕麿とは? わかりやすく解説

なつめ‐みかまろ【夏目甕麿】

読み方:なつめみかまろ

[1773〜1822]江戸後期国学者歌人遠江(とおとうみ)の人。通称嘉右衛門。号、萩園本居宣長門人。著「国懸社考」、家集志乃夫集」など。


夏目甕麿

読み方なつめ みかまろ

国学者神道学者遠江白須賀生。通称八郎嘉右衛門、名は英積、号は茂竹笹好。加納諸平の父。内山真龍本居宣長・同春庭門人古学修めた著書に『国県神考』『古野若菜』がある。文政5年(1822)歿、50才。

夏目甕麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 15:06 UTC 版)

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夏目 甕麿(なつめ みかまろ、安永2年5月5日1773年6月24日) - 文政5年5月5日1822年6月23日))は江戸時代後期の国学者遠江国浜名郡白須賀(現・湖西市)の酒造業を営む名主の家の生まれ。幼名は小八郎。名は英積。通称は小八、のちに嘉右衛門。号は萩園など。加納諸平の父。弟子は八木美穂など。司馬江漢と交友があったという。酒好き。

寛政2年(1790年)名主職を継ぎ、同9年(1797年)、内山真龍門に。翌年、本居宣長の門人となった。宣長の没した享和元年(1801年)には本居春庭に入門、本居大平に兄事。

文化11年(1814年)隠居。地名の語学的研究を行い、文化13年(1816年)『駿河国号考』を著した。文政元年(1818年)『鈴屋大人都日記』などの出版費用を負担し家産傾く。翌年より近畿の山陵研究として岸和田大坂昆陽(現・伊丹市)などを転々とする。文政5年(1822年)、昆陽池で遊んで溺死。船から月を取ろうとしたのだという。享年50。墓は三河吉田普門寺、摂津伊丹正覚院。

主な著作に『吉野乃若菜』『万葉摘草』。

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