具体的検討へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/14 16:13 UTC 版)
「オリエント・エクスプレス '88」の記事における「具体的検討へ」の解説
国鉄分割民営化から間もない1987年4月16日、フジテレビの幹部がJR東日本の副社長となっていた山之内を訪れ、オリエント急行の日本運行についての計画は予定通りに進めるように依頼があった。折りしも、民営化直後のJR東日本では、「国鉄時代にできなかったことをやってみたい」と考えていた。これを機に再度計画が進められることになり、VSOE社からの車両の借り入れや、オリエント急行が通過する各国の運行についてはフジテレビが責任を持ち、JRグループでは日本国内での運行と乗客募集・販売を担当することになった。フジテレビ側ではスポンサー獲得のための営業説明が社内で行われるようになっていた。 同年10月にはオリエント急行の運行について、JRグループ6社が集まって会議が行われた。オリエント急行が日本に来るのは10月上旬で、日本からヨーロッパに返却されるのは12月下旬となるため、車両の改造についてはできるだけ短期間で行い、一日でも多く日本国内での運行ができるように検討が重ねられた。また、運行計画についても、国鉄時代の検討では4往復程度の運行で考えていたが、日本一周以外にも金沢・広島・京都などの観光都市へ何度も往復する「シャトル列車」を運行することになった。その後も運行計画や沿線警備、さらに販売と宣伝について検討が重ねられた。なお、この時点で技術的な課題についても検討や調整が行われていたが、まとめて後述する。
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