共同体家族システムの起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 22:57 UTC 版)
「エマニュエル・トッド」の記事における「共同体家族システムの起源」の解説
トッドは当初、家族型の分布は偶然であり、何ら環境的要因はないとしていた。すなわち、ドイツと日本が似ているのは同じ直系家族だからだが、両民族が直系家族なのは偶然の一致だと見ていた。しかし後に、言語学者のローラン・サガールの指摘により、家族型の分布が、中心から革新が伝播して周辺に古形が残るという周圏分布をなすことを示した。これは言語地理学の重要な原則であり、日本では柳田國男の『蝸牛考』でよく知られている。ユーラシア内陸に外婚制および内婚制の父系共同体家族があり、その外側のドイツや日本に直系家族があり、さらにその外側のイングランド、フランス、東南アジアに核家族が存在する。これは、父系共同体家族が最も新しく、次に直系家族が新しく、核家族が最も古い残存形態であることを表している。 トッドとサガールによれば、ユーラシア中心部で生まれた父系共同体家族は、兄弟の連帯に基づく巨大な集団を作る点で軍事的に優位であり、征服を通して広まり、集団主義と女性の低い地位をもたらした。かつてバッハオーフェンが主張した母権制から父権制への移行は歴史的事実ではないが、父系社会のほうが新しいという直感は正しかったのである。アングロサクソンの自由主義や女性の高い地位が、近代性ではなく辺境の古さに由来するという結論には驚くべきものがある。 トッドらは、いつ父系共同体家族に変わったかをいくつかの地域について示している。中国が共同体家族になったのは秦による中国統一からである。秦の軍事的優位の一因として共同体家族制を挙げる。東方六国は儒教に明示される直系家族であった。これに対し、共同体家族の価値観を反映するのは法家思想である。秦以降の儒教は共同体家族の価値観によって変化し、兄弟の序列を重視しなくなった。 エジプトでは、ローマ帝国時代においてもまだ父系的でなく、イスラム帝国によるアラブ化により共同体家族となった。
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