公会議の流れ
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こうして1545年3月15日に公会議がはじめられた。1547年まで続けられた最初の会期は伝染病の流行によって中断された。1551年に教皇ユリウス3世により第2会期がはじめられたが、翌1552年にルター派であったザクセン選帝侯モーリッツがカール5世に勝利したことから会議の安全が危惧されて中断した。10年間という長い中断をはさみ、1562年に教皇ピウス4世の努力によってようやく第3会期が開始された。この会期ではジョヴァンニ・モローネ枢機卿の主導のもとに主にカトリック教会の改革、秘跡や聖伝の扱いが中心になって討議され、1563年にようやく予定されたほとんどの議題を討議して公会議が終了した。 参加者は会期によって変動があるが、最終的に発表された公会議文書に署名しているのは255人である。内訳は4人の教皇使節、2人の枢機卿、3人の総大司教、25人の大司教、168人の司教であり、全体の3分の2はイタリア出身であった。なお、スペインからはサラマンカ学派の神学者であるビトリア・ソト・カノらが代表団に選ばれ(ただしビトリアは病気のため辞退)、理論面においてカトリック勢力の建て直しに尽力した。
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