公会議の流れとは? わかりやすく解説

公会議の流れ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:06 UTC 版)

トリエント公会議」の記事における「公会議の流れ」の解説

こうして1545年3月15日公会議はじめられた。1547年まで続けられ最初会期伝染病流行によって中断された。1551年教皇ユリウス3世により第2会期はじめられたが、翌1552年ルター派であったザクセン選帝侯モーリッツカール5世勝利したことから会議の安全が危惧され中断した10年間という長い中断をはさみ、1562年教皇ピウス4世努力によってようやく第3会期開始された。この会期ではジョヴァンニ・モローネ枢機卿主導のもとに主にカトリック教会の改革秘跡聖伝扱い中心になって討議され1563年にようやく予定されたほとんどの議題討議して公会議終了した参加者会期によって変動があるが、最終的に発表され公会議文書署名しているのは255人である。内訳は4人の教皇使節2人枢機卿、3人の総大司教25人の大司教168人の司教であり、全体3分の2イタリア出身であった。なお、スペインからはサラマンカ学派神学者であるビトリア・ソト・カノらが代表団選ばれ(ただしビトリア病気のため辞退)、理論面においてカトリック勢力建て直し尽力した

※この「公会議の流れ」の解説は、「トリエント公会議」の解説の一部です。
「公会議の流れ」を含む「トリエント公会議」の記事については、「トリエント公会議」の概要を参照ください。

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