公会議後の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:06 UTC 版)
会期の中で禁書目録の制定も意図されたが、教皇の判断に一任されることになった。また、カテキズム書、聖務日課、ミサ典書およびヴルガータ訳聖書の改訂も教皇の判断に任された(これらは後に実施され、20世紀にいたるまでカトリック教会のスタンダードとなった)。 閉会にあたって公会議はすべての教令に対しての教皇の承認を要請し、教皇はこれを認めて全世界の教会に対して受け入れるべきものとして布告した。教皇はさらに決議事項の円滑な実現のための枢機卿委員会を任命した。彼らは公会議文書をラテン語で出版し、司教団を通してヨーロッパ各国に公会議文書を配布し、各国語に翻訳された。 自らの教義を再確認し、カトリック教会からすべての汚れを洗い流そうとしたトリエント公会議は、20世紀の第2バチカン公会議にいたるまでカトリック教会の方向性に大きな影響を与えつづけた重要な会議となった。次に公会議が行われるのは実に300年後のことになる。
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