価格競争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 17:13 UTC 版)
「Micro Instrumentation and Telemetry Systems」の記事における「価格競争」の解説
ボウマー・インスツルメント社は1971年9月に4機能ポケット電卓「Bowmar Brain」を発表して179ドルで発売し、初年度に50万台以上が売れた。ボウマー社はその後、120ドルの電卓「901B」を開発した。1972年9月には、テキサス・インスツルメンツ(TI)がポータブル4関数電卓「TI-2500」を発表し、これも120ドルで販売された。901BとTI-2500はどちらも、TI TMS0100ファミリーの「ワンチップ電卓」ICを使用していた。TIは今や、自社のICの顧客と直接競合していた。ナショナル セミコンダクターやロックウェルなどの他の半導体企業も電卓の販売を開始し、コモドールなどの事務機器メーカーも電卓市場に参入して、激しい価格競争が始まった。1974年初頭までに、小売店で電卓を材料費以下で購入できるようになっていた。大企業は、市場シェアを獲得するために原価割れの価格で販売することができた。ボウマー社は1974年に2,000万ドルの損失を出し、破産を申請した。コモドール社は、同社のICサプライヤーであるMOSテクノロジーを買収した。TI社は価格競争には勝利したが、電卓部門は1975年に1,600万ドルの損失を出した。 この市場で競争するために、ロバーツはより多くの資本を必要とした。彼は1973年11月にMITS社の株式を、1株1ドルで50万株公開した。1973年の第1次オイルショックで株式市場は低迷し、MITS社株は25万株しか売れなかった。これで既存の負債を返済することはできたが、業務規模拡大のための資金は残らなかった。ロバーツは波形発生器やデジタル電圧計などいくつかの試験装置を開発しており、電卓の代わりにこれらの試験装置やデジタル時計を広告に取り上げることで、再びキットビルダーにアピールしようとした。MITS社の資金は枯渇しかけていた。1974年7月までに、有名だった全面広告は、雑誌の後ろの方の4分の1面の広告となった。 MITS社は30万ドルの負債を抱え、ロバーツは新たなヒット商品を探していた。彼は、低価格のコンピュータでキット市場に復帰することを決めた。顧客のターゲットとして、「多少の組み立てが必要」であることが望ましいと考えた。ロバーツは、電卓用のIntel 4004を見ていたが、Intel 8008には限界があり、作業が難しいと考えていた。その頃インテル社は、汎用コンピュータとして使用できる初のマイクロプロセッサであるIntel 8080をリリースした。ロバーツは、自社のコンピュータキットには8080は十分だと感じていたが、8080は小ロットでは1個360ドルで販売されていた。ロバーツは、コンピュータキットの価格を400ドル以下にしなければならないと考えていた。この価格を実現するために、ロバーツはインテル社に8080を1,000個発注し、単価を75ドルまで下げさせた。ロバーツとMITS社のヘッドエンジニアであるビル・イェーツは、コンピュータの設計を開始した。会社の従業員を20人にまで減らし、銀行からの6万ドルの融資により、新しいコンピュータの設計と初期生産の資金が調達された。
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