伊藤喜商店工作部の創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/19 04:55 UTC 版)
「伊藤喜十郎」の記事における「伊藤喜商店工作部の創設」の解説
また、時流に即した商品を取り扱うことに力を注ぎつつも、発明家を援助して製造を促進すること(今でいうベンチャーキャピタルのようなこと)にも早くから積極的だった。単なる販売から製造して販売する方向への事業拡大は、発明家との共同経営あるいは発明家からの権利譲り受けという形から更に一歩進んで、自ら発明をなし、特許を取得して製造販売する構想へと発展した。 1908年(明治41年)3月、伊藤喜商店工作部が新設され、文具、安全かみそり、手提げ金庫と3種のオリジナル商品が発案された。さらに1913年(大正2年)に日本初の金銭登録機(キャッシュレジスター)「ゼニアイキ」(銭勘定が合う機械という意)のデビューへと続く。大阪・京都を皮切りに「ゼニアイキ」の販売先は全国へと広がり、当時としては近代的センスのある商品で、発売後50年を経た昭和30年代の末にもまだ愛用されていた例があるくらいロングセラーの看板商品だった。 これら産業功労者としての功績もあり、大阪市会議員、大阪商業会議所評議員、高野鉄道株式会社取締役、日本債券株式会社取締役社長、大阪巡航株式会社取締役、大阪馬車鉄道株式会社監査役などを歴任、大坂毛糸紡績会社・摂津紡績会社設立へ参画するなど、政財界を担う人物として幅広く活動し、1926年(大正15年)1月に賞勲局より発明考案の普及宣伝と発明者保護奨励の功を表彰された。 1933年(昭和8年)12月26日、創業から43年目に伊藤喜商店は株式会社に改組し喜十郎は取締役社長に就任した。 1936年(昭和11年)2月1日に死去した。享年82(満80歳没)。 喜十郎が築き上げた創業の精神は世の中にないものを生み出してきたイノベーションの軌跡であり、今日のイトーキにも脈々と受け継がれ、企業理念となっている。
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