伊勢宮とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 地名 > 伊勢宮の意味・解説 

伊勢宮

読み方:イセミヤ(isemiya)

所在 長野県長野市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒380-0958  長野県長野市伊勢宮

伊勢宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 14:29 UTC 版)

伊勢宮
所在地 長崎県長崎市伊勢町37
主祭神 天照皇大神豊受比賣大神素戔嗚大神
例祭 9月17日
主な神事 鮎之御神事(鮎神事)
テンプレートを表示

伊勢宮(いせのみや)は、長崎市にある神社。祭神は天照皇大神豊受比賣大神素戔嗚大神諏訪神社・松森神社につぐ社格で、この三社は「長崎三社」として信仰された。境内は502坪半余。遷宮は33年ごとに行われた[1][2][3][4][注釈 1]

初代神主の跡を務めた島氏は杵築大社(出雲大社)の係流であったため、歴代の神主職は伊勢神宮と出雲大社の両方から裁許状を受け、祭式・作法なども両社の影響下にあった[2][3][注釈 1]

歴史

当初は天照皇大神を祀る石祠だったが、元亀年間から天正年間のころにキリシタンによる社寺の焼き討ちに遭い荒廃していた[1][2][3]

寛永5年(1628年)、長崎の地元民が肥前国唐津出身の天台宗修験者南岳院[注釈 2]存祐を神主に推戴し、長崎に伊勢大神宮を勧請。翌6年(1629年)、伊勢外宮から「長崎伊勢宮」に分霊奉斎の裁許状が下された[1][2][3][4]

寛永16年(1639年)、南岳院が長崎奉行馬場利重を通じて幕府と伊勢神宮に請願して、外宮大神宮を鎮祠。この時、周辺の町名が新高麗町から伊勢町へと改称された[1][2][3][注釈 1]

正保3年(1646年)、長崎奉行所から宮地として伊勢町の屋敷地5ヵ所を川端に与えられる。同年7月11日から11月28日にかけて普請が行われ、神殿や瑞垣、神門、鳥居が新築され、神域が整った[1][2][3][注釈 1]

承応2年(1653年)、両国造衆から免状が出されて、社内に出雲大社が建立される[注釈 1]

明暦元年(1655年)9月16日、伊勢宮祭礼が初めて行われる[注釈 1]

寛文3年(1663年)3月、寛文長崎大火で類焼したため、近隣にある松森神社内に仮遷座が行われる。翌4年(1664年)7月11日に再建が始まり、同年9月15日に正遷宮がなされる[1][2][3][注釈 1]

同8年(1668年)、大社岐神社が修復される。延宝6年(1678年)御宮・末社とも修復がなされる[注釈 1]

宝永7年(1710年)、引地町の松田金兵衛と酒屋町の紅粉屋弥三右衛門から社地が寄進されたことで、境内を広げ、社殿を改築する[2][3][注釈 1]

享保5年(1720年)、6代神主の政良[注釈 3]が京都吉田家から宗源宣旨を受け、7代目もこれを踏襲したため伊勢神宮と一時疎遠になる。明和3年(1766年)、伊勢神宮との関係はもとに復する[2][3]

宝暦2年(1752年)、大橋氏より屋敷地が寄付される[注釈 1]

寛政11年(1799年)、社殿を修復し、外観を一新する。この時より、例祭を旧例に従って9月16日、17日に改め、「伊勢町九日(クンチ)」といわれた[2][3]

文政2年(1819年)と天保3年(1832年)に社殿の改修が行われる[2][3]

天保11年(1840年)、式年遷宮が行われる[2][3]

慶応4年(1868年)、長崎奉行河津祐邦が江戸に脱出した後、薩摩藩・長州藩・土佐藩など長崎に残った諸藩士が会合に使用する[4]

1874年明治7年)、村社となる[1][3]

1901年(明治34年)、長崎で初の神前結婚式が行われる[1][2][3]

1907年(明治40年)、神饌幣帛料供進神社に指定される[1]

歴代神主

『長崎実録大成 正編』第四巻「神社経営之部」より[注釈 1]

  1. 南岳院存祐 - 寛永16年から正保3年まで8年間
  2. 島左馬允直重 - 正保3年から天和2年まで37年間。出雲大社上官筋目の社人で、南岳院の養子となって神職を勤める
  3. 島千大夫定重 - 天和2年から元禄8年まで14年間
  4. 島千大夫元重 - 元禄8年から同16年まで9年間
  5. 島長大夫重彦 - 元禄16年から正徳4年まで12年間
  6. 島隼人政重 - 正徳4年から享保6年まで8年間
  7. 島兵庫等重 - 享保6年から元文2年まで17年間
  8. 島対馬守重直 - 元文2年から務める

脚注

注釈

  1. ^ a b c d e f g h i j k 「伊勢大神宮御祈禱所」『長崎実録大成 正編』第四巻「神社経営之部」(長崎文献叢書第一集第二巻、100-102頁)。
  2. ^ 『長崎実録大成』では「南學院」。
  3. ^ 『長崎実録大成 正編』では6代目神主は「政重」となっている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 「伊勢宮」長崎新聞社長崎県大百科事典出版局 1984, p. 55.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 「伊勢宮」平凡社 2001, p. 147.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「伊勢宮」「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1987, p. 131.
  4. ^ a b c 龍馬が見た長崎 2009, p. 87,89.

参考文献


伊勢宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 22:23 UTC 版)

安茂里」の記事における「伊勢宮」の解説

伊勢宮一・二・三丁目(いせみや)は、安茂里地域南東部地区郵便番号は380-0958。 地区北端信越本線通り南端犀川流れる。周囲は以下の大字・町接する。 大字安茂里小路 - 大字安茂里大門 大字安茂里米村 宮沖 差出南二丁目 伊勢宮 大字安茂里犀北 大字安茂里犀川緑地差出南三丁目 地区のほぼ全域住宅地である。 地名は、地区にあった祠(現伊勢宮神社=伊勢宮一丁目)に由来する地区内の人口及び世帯数以下の通り平成26年4月1日現在)。 人口世帯数伊勢宮一丁目489世帯 1,156人 伊勢宮二丁目439世帯 1,066人 伊勢宮三丁目226世帯 695人 計1,154世帯 2,917人

※この「伊勢宮」の解説は、「安茂里」の解説の一部です。
「伊勢宮」を含む「安茂里」の記事については、「安茂里」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「伊勢宮」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊勢宮」の関連用語

伊勢宮のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伊勢宮のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
日本郵政株式会社日本郵政株式会社
Copyright (C) 2025 JAPAN POST SERVICE Co.,Ltd. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの伊勢宮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの安茂里 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS