企業としての歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/16 01:50 UTC 版)
「ペン・セントラル鉄道」の記事における「企業としての歴史」の解説
ニューヨーク・セントラル鉄道をペンシルバニア鉄道が吸収する形で、1968年2月1日にペンシルバニア・ニューオーク・セントラル・トランスポーテーション・カンパニー (Pennsylvania New York Central Transportation Company) が設立された。商号としてはペン・セントラルが採用され、5月8日に会社自体が公式にペン・セントラル・カンパニーに改称した。 ペン・セントラル・トランスポーテーション・カンパニーは1969年4月1日に設立され、その株式は新しいペン・セントラル・ホールディング・カンパニーに割り当てられた。10月1日にペン・セントラル・トランスポーテーション・カンパニーはペン・セントラル・カンパニーに合併した。翌日、ペン・セントラル・カンパニーはペン・セントラル・トランスポーテーション・カンパニーと改称し、ペン・セントラル・ホールディング・カンパニーがペン・セントラル・カンパニーと改称した。 ペンシルバニア鉄道の子会社で、1870年に設立され1958年に再編された持株会社のペンシルバニア・カンパニー(英語版)は、合併以降の期間も独立した企業として残存した。 ペン・セントラル・トランスポーテーション・カンパニーは1976年にコンレールに合併したが、その持株会社であったペン・セントラル・カンパニーは独立した企業として存続した。1970年代から1980年代にかけてペン・セントラル・カンパニーは、倒産前に買収した多角化経営の事業で構成される小さな企業であった。 コンレール発足時にペン・セントラル・ホールディング・カンパニーが所有していた資産としては、ニューヨークのペンシルベニア駅の上に位置するマディソン・スクエア・ガーデンや、ここを本拠地とするバスケットボールチームニューヨーク・ニックスやアイスホッケーチームニューヨーク・レンジャースがあった。 ペン・セントラルは鉄道に関連した線路や駅の所有権を維持し続けたが、次第に清算を進め、最終的に子会社の保険事業へと集中していった。ペン・セントラル・コーポレーションは1994年3月にアメリカン・プレミア・アンダーライターズ (American Premier Underwriters) と改称した。カール・リンドナー(英語版)率いるアメリカン・フィナンシャル・グループ(英語版)の一部となった。2006年末までアメリカン・フィナンシャル・グループはニューヨークのグランド・セントラル駅を所有していたが、鉄道の運営は1994年からリースによりメトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ (MTA) が行っていた。このリースは2274年2月28日まで続けるべく交渉されている。 2006年12月6日、陸上交通委員会(英語版)は、アメリカン・フィナンシャル・グループの残存鉄道資産をおよそ8000万ドルでミッドタウンTDRベンチャーズLLC (Midtown TDR Ventures LLC) へ売却することを承認した。2007年7月6日のニューヨーク・ポストによれば、ミッドタウンTDRはペンソン・アンド・ベンチャー (Penson and Venture) の傘下にある。ニューヨーク・ポストによれば、MTAは2007年現在年間224万ドルを設備の借り受けに支払っており、2017年に駅および線路を買収するオプションを持っている。しかし期日を15年延長して2032年とすることもできる。 これに含まれる資産としては、メトロノース鉄道のハーレム線・ハドソン線が使用している156 マイル(251 km)の線路と、ニューヨークのグランド・セントラル駅がある。ミッドタウンTDRによってもっとも価値のある資産と評されているのは、グランド・セントラル駅の地下プラットホームや入換設備の上空にある未利用の空中権である。これらのプラットホームや入換設備はグランド・セントラル駅のビルから北へ数ブロックにわたってつながっており、その上に多くの通りや、有名なメットライフビル、ウォルドルフ=アストリアといったビルが空中権を借りて存在している。駅のビル自体は歴史的な保存の対象とされており、現在の法律の下では再開発のための取り壊すことができず、その金銭的な価値は限られている。
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