他国の介入と国連軍の介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 07:04 UTC 版)
「コンゴ動乱」の記事における「他国の介入と国連軍の介入」の解説
ベルギーの支援に影響された分離主義の高まりにより、国際連合(UN、国連)内部にコンゴからベルギーのすべての兵力を撤収させようとする動きが出てきた。国連事務総長ダグ・ハマーショルドは国連の指揮下に置かれ、多国籍で構成される国連平和維持軍をコンゴへ派遣するために主導的な役割を果たした。ルムンバからの要請を受けた国連安全保障理事会は7月14日に、ベルギー軍のコンゴからの撤退を要求する国連安保理決議第143号を採択した。 ルムンバとコンゴ中央政府は分離主義活動を抑制するのに役立つかもしれないと考え、コンゴ国連軍(ONUC)の到着を当初は歓迎した。しかしながら、ONUCが最初に任された活動は平和維持のみであった。ハマーショルドは分離主義活動を国内の政治問題と位置付けており、これに反対するのは中立性が失われることになり、主権の侵害に相当すると見ていた。そのために、彼は国連が国連憲章に基づいてコンゴ軍の支援を可能にする措置を取ることを拒否した。国連の消極的なカタンガ政策に失望したルムンバはソ連と武器や物流及び物質的な支援の提供に関する合意を成立させた。約1,000人のソ連の軍事顧問は直ぐにコンゴに上陸した。ソ連の介入を危険視するカサブブら政府関係者がルムンバから距離を置き始めた。アメリカはアフリカ中部地域における共産主義の大拡張の土台がコンゴに形成されることを恐れていた。 ソ連の軍事的支援を得た約2,000人の国民軍は南カサイに対する大攻勢を開始した。攻撃で大成果を得たものの、その過程において、国民軍はルバ族とルルア族(英語版)の民族間の内紛に巻き込まれてしまい、その際にルバ族の民間人を大量に虐殺してしまった。約3,000人が殺害されてしまった。戦火から逃れるように何千人ものルバ族の民間人がこの地域から脱出した。 ソ連の関与にアメリカは警戒した。アメリカ合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーはベルギーの批判に則して、ルムンバが共産主義者であり、コンゴはソ連にとって戦略上重要な従属国になる道を突き進んでいると考えていた。1960年8月には、領域内に潜伏する中央情報局(CIA)のスパイもコンゴがキューバ革命を経験してソ連との結び付きを強化しているキューバと同じような道を辿るかもしれないと警告した。 1960年7月22日にフランス・ソワール(英語版)紙のインタビューに応じたルムンバは、彼が共産主義者であると批判を受けていることについて回答している。「これは私に向けたプロパガンダに基づく策略だ。私は共産主義者ではない。私が革命家であり、私達人間の尊厳を無視した植民地体制の廃止を求めてきたために、植民地主義者は全国を通じて私に対する運動を展開してきた。私が帝国主義者によって買収されることを拒否したことで、彼らは私を共産主義者と見なしているのだろう」と述べている。
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