他国の写真花嫁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 21:16 UTC 版)
他国については、小規模だが、韓国からの移民においても写真花嫁の習慣があった。韓国からの移民は、1882年にアメリカ合衆国と李氏朝鮮の間で締結された米朝修好通商条約により始まったが、1905年の第二次日韓協約によって大日本帝国が大韓帝国の外交権を接収すると、米国への移民が制限された。1903年から1905年までの間に米国に移住した韓国人の数は7,500人で、そのほとんどがサトウキビ畑で働く男性労働者であったため、1910年から1924年までの間に約1,000人の女性が写真花嫁として渡米した。写真花嫁の側の理由も日本人の場合とほぼ同じだが、1910年に大日本帝国が大韓帝国を併合(韓国併合ニ関スル条約を締結)した後の写真花嫁のなかには、「日本統治下の韓国から逃れるため」という理由を挙げる者もあった。渡米後の(特に写真と実物の違いによる)女性の失望も同様だが、日本人女性と違って離婚する女性が多く、この時期の離婚の90%が女性からの要求によるものであった。 この他、特殊な例として、1915年にオスマン帝国で起こったアルメニア人虐殺後、米国に移住したアルメニア人男性がオスマン帝国からアルメニア人女性を写真花嫁として迎え入れたという報告がある。
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