人口・文化など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 13:38 UTC 版)
人口(2000年の推計値)は514,400人であり、先住民の大半はミクロネシア系であるが、カピンガマランギ環礁など、ポリネシア系の住民が暮らす島もごくわずかに存在し、それらは域外ポリネシア(Polynesian outlier)と呼称される。ちなみにカロリン諸島には、ポリネシアのものに極めて近い航法技術(ウェイファインディング)が残存しており、先史時代のミクロネシアとポリネシアの間で文化的交流があり、かつ両者が同じオーストロネシア系民族によって形成された文化であることを示している。また、日系人の人口も多い。 現代では、太平洋芸術祭などによってポリネシアやメラネシアの先住民との文化的交流が為されている他、ミクロネシア連邦ヤップ州サタワル島の航法師マウ・ピアイルックがハワイの先住民運動(ハワイアン・ルネッサンス)に協力し、その功績から「パパ・マウ」と呼ばれている。 太平洋戦争(大東亜戦争)は、ミクロネシアの人々にとって初めての近代的戦争経験であり、この地の社会・文化を覆す事件であった。そのためミクロネシア社会は、アジア・太平洋的伝統社会システムからキリスト教的価値観を基礎とする欧米的生活様式へ転換した。太平洋戦争の痕跡は、キリバスのタラワ環礁、パラオのペリリュー島、マリアナ諸島のサイパン島などミクロネシアの各所に今なお残されている。また、日本軍兵やアメリカ兵の墓標(慰霊碑)が、戦後になって遺族や政府などによって建立されている。また、1946年から1958年にかけて、アメリカが110回あまりの原水爆実験をマーシャル諸島で実施した。その影響でロンゲラップ環礁の人たちをはじめ第五福竜丸など多くの人々が被爆した。
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