五億円授受を決定づけた車中での会話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 21:19 UTC 版)
「榎本三恵子」の記事における「五億円授受を決定づけた車中での会話」の解説
検事「丸紅のIとの交際について榎本に何か忠告したことは?」 もしIさんが将来失脚した場合、榎本の立場が田中先生のパイプ役であると取沙汰されて、先生に迷惑がかかるのではないかと思い交際を止めるように言いました。それで付き合いは止めると約束しました。それ以来Iさんから自宅へは電話がかかって来なくなり付き合いは辞めたと信じておりました。 検事「ロッキード事件が報道され始めた時どう思ったか?」 報道にIさんの名前があり不安になりました。Iさんの領収書が政界への賄賂だったのではないかと報道されていたので、榎本は田中事務所では政治献金の窓口だったから心配でした。そしてIさんが領収書のサインを認めた直後、毎日のように電話がかかってくるようになり、榎本は非常に緊張して応対していたので、ロッキード社の献金のことだと思いました。(1976年)2月10日、私が運転する車で目白の田中邸まで榎本を送っていく途中、大塚三丁目交差点で信号待ちをしていた時、突然「どうしよう?」と言われ、報道されたようなお金を受け取ったのかと私が問いただして顔を覗き込むと、うなずいて肯定しました。「あなたの逮捕はあるわね。田中先生にはどこまで追及が行くのでしょうか?」と問い質すと、「三木総理の腹しだいだ」と榎本は答えました。私は「どうしようはないでしょう。男が腹をくくってやったことなのだから、何もなかったことにするのですよ。それが田中先生の秘書としての役目でしょう」と言いました。 検事「どんな金だと思いましたか?」 ロッキード献金です。Iさんから榎本を通じ、田中先生へ渡ったという意味です。榎本の逮捕が想定できたので、何もなかったで通すのが秘書としての役目だと言い含めました。その夜、Iさんとの交際を断つと約束したのに、なぜまだ付き合っていたのかと榎本を責めました。 検事「証拠を焼いたことがあるのでは?」 2月26日頃、日程表、書類などを庭先で焼却しました。その日、榎本が帰ってきた時、玄関先で「書類は焼いておきました」と言ったら榎本は「ありがとう」と返事をしました。 これに対し、田中側の弁護人は証言席の三恵子に、三人の子供が現在、榎本敏夫宅にいることを確認しただけだった。これを三恵子は子供達は人質に取られているという無言の脅迫のように受け取った。検事とのやり取りは時間にして20分程で、榎本被告が金銭授受を認めたと言った時は法廷内がどよめきに包まれた。三恵子が退廷した後、田中側の弁護人は「榎本被告の家には三人の幼い子供がおり、両親のことが大きく報道されると小さい胸を痛める。元夫人を証人で出したことについて、こうまでしなければ立証できないのかと暗然たる思いがする。これ以上、反対尋問を重ねるのは到底忍びない」と言い反対尋問はしなかった。しかし後にマスコミに向かって「検察は何を血迷ったのか。あんな大人げない真似をするとは。とにかく不愉快」と怒りをあらわにした。検察は「補充捜査の過程で接触し、何回か説得を重ねて証人に立つことの了解を得ており、私怨などから証言をするということはありえない」と胸を張った。 その夜、三恵子は担当検事から「三恵子さん、よくやったとの電話が検察の方に数多く入りました。そういう国民の反応をお伝えします」と電話をもらった。
※この「五億円授受を決定づけた車中での会話」の解説は、「榎本三恵子」の解説の一部です。
「五億円授受を決定づけた車中での会話」を含む「榎本三恵子」の記事については、「榎本三恵子」の概要を参照ください。
- 五億円授受を決定づけた車中での会話のページへのリンク