事業の経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/16 10:18 UTC 版)
「ウィリアム・ヘイデン・イングリッシュ」の記事における「事業の経歴」の解説
イングリッシュは1860年の再選は辞退したが、北部と南部が分裂度合いを高めていることについて、妥協と節度を提唱する演説を何度か行った。この年にエイブラハム・リンカーンが大統領に当選した後、イングリッシュは南部人に脱退しないよう説得に努めた。南部州が脱退し、南北戦争が始まると、インディアナ州知事オリヴァー・P・モートンがイングリッシュに連隊長を任せようとしたが、軍事的知識も興味も無かったのでこれを辞退した。しかし、モートン(およびリンカーン)の戦争遂行政策を支持し、自分もタカ派民主党だと見なした。イングリッシュは金を借りて州政府に渡し、兵士の装備費に使わせ、また第2選挙区の憲兵司令官を務めた。 イングリッシュは下院議員を辞した後、1年間はスコット郡の自宅で過ごし、その後州都インディアナポリスに移った。イングリッシュと10人の仲間(ジェイムズ・ラニアを含む)が1863年にインディアナポリス第一国定銀行を組織した。これは新しい国定銀行法の下で組織化されたことでは同市初の銀行だった。イングリッシュはその頭取を1877年まで務めたが、その間には多くの他行が倒産した1873年恐慌もあった。イングリッシュの事業対象には他の産業も含まれていた。インディアナポリス路面鉄道会社の支配株主となり、1876年までその経営に関わっていたが、1876年に株を売却した。1877年には銀行の株も売却し、その投資先を不動産に向けた。1875年までに既に現在のイングリッシュ・アベニューで75軒の家屋を建設させていた。その2年後に妻のエマが死んだ。イングリッシュはその後も19年間生き残った。1896年に死ぬ時までに448件の資産を所有し、その大半はインディアナポリスにあった。 1880年、イングリッシュはイングリッシュズ・オペラハウスを建設した。1994年の「インディアナポリス百科事典」に拠れば、直ぐに市内最良の建物と呼ばれるようになっていた。この建物はニューヨーク市にあるグランド・オペラハウスをモデルにしており、観客席は2,000席あった。1880年9月27日にオープンし、ローレンス・バーレットが『ハムレット』を演じた。その時までにイングリッシュは再度政治に関わっていた。オペラハウスの運営は、演劇に興味を持っていた息子のウィリアム・エスティン・イングリッシュに任せた。息子のウィリアムは女優のアニー・フォックスと結婚したばかりだった。イングリッシュはそのオペラハウスにホテルを追加し、どちらも1948年まで運営されていた。
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