事故の多発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/16 05:20 UTC 版)
煙火産業は、常に危険と背中合わせで、事故が多発していた。1955年からの5年間で煙火製造中の事故を見ると、1955年=事故件数13、死者25、負傷者22、1956年=事故件数14、死者23、負傷者9、1957年=事故件数13、死者19、負傷者16、1958年=事故件数8、死者21、負傷者19、1959年=事故件数11、死者18、負傷者19に上っている。 1962年5月29日午後、 長野県下伊那郡上郷村別府(現飯田市)の内山煙火製造所で銀竜という打ち上げ花火を加圧成型していたところ、爆発事故が発生した(上郷村花火工場爆発事故)。この事故では近接して小学校があり、校庭で体育の授業を受けていた女子児童1名が吹き飛ばされ頭部を強打し死亡した。この事故をきっかけに、煙火工場の立地条件、保安対策の見直しが強く求められるようになった。これを受けて、火薬類取締法が改正され、付帯決議で火薬類の災害事故によって第三者被害を生じたときに補償する制度を確立することが求められた。なお、当時の火薬事故として、他に、墨田区花火問屋爆発事故(55年8月1日)、日本カーリット工場爆発事故(55年8月2日)、小勝多摩火工爆発事故(58年7月30日)、第二京浜トラック爆発事故(59年12月11日)、神戸港クラッカーボール荷積み中事故(59年3月31日)、広島市火薬庫爆発(59年6月8日)、横須賀市火薬庫放火事件(60年5月7日)、横浜市東洋火工事故(59年11月20日)などがあった。
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