九州・名古屋時代とは? わかりやすく解説

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九州・名古屋時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 13:51 UTC 版)

角田正喬」の記事における「九州・名古屋時代」の解説

角田正喬は、1877年明治10年10月18日群馬県人・角田徳太郎長男として生まれた1903年明治36年慶応義塾大学部理財科卒業卒業後はまず商社日本綿花入社し上海支店勤めた1910年明治43年以降福澤桃介経営する電気事業に関わった。福澤慶應義塾創設者福澤諭吉女婿にあたる人物で、角田から見ると慶應義塾先輩でもある。角田はまず佐賀電力会社九州電気支配人代理として入社した同社1910年9月発足した資本金270万円会社で、経営陣社長中野致明専務伊丹弥太郎取締役福澤桃介松永安左エ門取締役支配人田中徳次郎といった顔ぶれであった1912年明治45年6月福岡電力会社博多電灯軌道九州電気合併し九州電灯鉄道発足する同社では角田支配人昇格している。以後九州電灯鉄道周辺事業者次々と合併し北部九州中核事業者に発展していくが、角田支配人在任短く1913年大正2年2月辞任した1913年2月角田名古屋電力会社名古屋電灯転じ同社支配人就任した同社1909年から福澤株式買収取り掛かり筆頭株主となっていた会社である。1913年1月福澤常務(のち社長となって会社実権握っており、福澤推薦角田九州から転じて支配人就任社業改革にあたることになった4年後の1917年大正6年12月取締役選出1919年大正8年3月支配人兼任解かれるが、同年10月神谷卓男元名古屋市助役)とともに常務取締役に昇った。 名古屋電灯関係会社では、1916年大正5年8月電気製鋼所大同特殊鋼前身)が設立される取締役就任次いで1918年大正7年9月木曽川開発のための新会社木曽電気製鉄(後の木曽電気興業)が設立される常務取締役就いた。なお、木曽電気興業京阪電気鉄道提携して関西地方への送電目的1919年11月立ち上げた大阪送電では設立時役員には名前がない。1921年大正10年2月になり、大阪送電木曽電気興業日本水力合併し大同電力社長福澤桃介)が発足する発足先立つ1920年11月実施され役員改選角田大同電力取締役選ばれた。

※この「九州・名古屋時代」の解説は、「角田正喬」の解説の一部です。
「九州・名古屋時代」を含む「角田正喬」の記事については、「角田正喬」の概要を参照ください。

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