主要穀物化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 05:34 UTC 版)
ローマ帝国では、貧困者が食べるものとしていたため、一時期栽培が激減した。しかし、ローマ帝国の北部では小麦の生育条件が悪く、しばしば小麦畑をライ麦が覆うようになり、2世紀ごろにはライ麦を主目的として栽培されるようになった。コムギより酸性土壌に強く、乾燥や寒冷な気候に耐えるため、スカンジナビア半島やドイツ、東ヨーロッパなどでは主要な穀物として栽培されていった。中世にはオオムギに代わってコムギに次ぐ第2の穀物としての地位を確立した。16世紀末からは海運の改善や都市人口の増大に伴い、バルト海沿岸のライムギが輸出用作物として盛んに栽培されるようになり、とくにポーランド王国の大穀倉地帯を後背地に持つダンツィヒのライムギ交易が急増した。総輸出の約70%を占めたダンツィヒをはじめ、リガやケーニヒスベルクなどのバルト海諸港から盛んにライムギが輸出され、1562年から1657年までの106年間の年間平均輸出量は8.6万トンに上った。また、このライムギ交易の活況はポーランド王国の経済を活性化し、ポーランドの黄金時代を経済面から支えることとなった。一方で、麦角菌中毒(下で詳述)が中世には大流行し、591年から1789年の間に132回の流行を見た。 主要栽培地域である中央アジアおよびヨーロッパ以外への伝播は遅れ、16世紀以降にはロシア人の東進にともなってシベリアでも栽培が開始されたものの、南北アメリカ大陸やインド、東アジア、日本への伝播は19世紀まで起こらなかった。このため、栽培の歴史の浅い日本および東アジアにおいては雑草型のライムギはほぼ存在せず、栽培種のライムギのみが生育している。
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